なぜ“好きじゃない人からの好意”は、こんなにも重たく感じるのか

人物

「好き」は本来、美しい感情です。けれど、その美しさは相手の気持ちと両立してこそ輝きます。

本記事は、私と友人Nさんとのちょっとした雑談(個人が特定できる要素は除去)の記録をそのまま公開します。

Nさんが全く好きではない相手から繰り返し好意を向けられた出来事を手がかりに、「自分の気持ち」と「相手の気持ち」をどう同時に扱うかを探っています。

告白の是非ではなく、境界線の引き方、傷つけない伝え方、そして“救いたい”と“嫌われたくない”の揺れまで。

恋愛に限らず、対人関係の実践知としてお役に立つ気づきがあれば嬉しいです。

対話の記録

全く好きじゃない人に告白されたNさんの苦悩

たばこや:
昨日、感情が動いたって言ってた件、聞いてもいいですか?

N:
おもしろい話ですよ。
ちょっと恋愛寄りの話です。
以前告白していただいて、でも丁寧にお断りした職場の方から まだ好意を示されていて。
僕の運営しているコミュニティとかにも来てくれてて。

たばこや:
そうなんだ!
じゃあ、私もどこかで接点あったりします?

N:
直接は会ってないはずです。
で、向こうが「接点を持ちたい」と言ってきたので、昨日 悩み相談に乗っていました。
テーマはふたつ——「ダイエットをしたい」と「好きな人の気持ちがわからない」。
途中からは恋愛の話一本になりました。

たばこや:
なるほど。
そうなりそうですよね。。笑
ダイエットは「頑張れ」で終わりますもんね。

N:
悩み相談の進め方としては、「そのために何ができる?」「いつ何をする?」まで落としていくじゃないですか。
で、結果として向こうが「今すぐ気持ちを伝えたい」というアクションが決まって、その流れのままに—昨日、まずカフェで悩み相談に乗って、そのあと一緒に食事に行ったときに、告白をされました。

たばこや:
知ってた。。!笑
その方が好きなのはNさんなので、再度告白することになるって。

N:
食事中、最初はすごく回りくどい聞き方をされて。「1回“なし”って言われた人を、もう一度好きになることってありますか?」っていう形で探りを入れてきたんです。
で、正直、ちょっと面倒くさいな…って思ってしまって。

たばこや:
あ〜、普段Nさんがしがちな立場を、今度は逆に向けられた感じですね。
面倒くさかったんですね。

N:
そうなんです。
で、「一般論」と「自分の場合」を分けて伝えたくて、「一般的にはゼロではないと思います」と言ったうえで、「でも、僕自身の感覚では限りなくゼロに近いです」と伝えました。
すると「じゃあ、少しは可能性があるってことですか?」と言われて…。

たばこや:
ああ、そこを拾うのか…。
「そうじゃないって察して…」って思うところですよね。
「感情としてはゼロなの分かって」「傷つけないための言い方だよ」って思いますよね。

N:
なので、はっきり「ゼロです」と言い切りました。
そしたら、もう本当に世界が終わったかのような反応で…。
向こうは食事もほとんど進まなくなってしまって。

たばこや:
……うん。

N:
ただ、自分にもエゴがあって。
その件が原因で、コミュニティに来なくなるとか、仕事そのものにも来られなくなるのは困ると思っていた
ので、その点も含めて伝えたんです。
そしたら「月曜日から療養休暇取るかもしれないです…」って言われました。

たばこや:
ぜひ続きを聞きたいです。
正直ちょっと…聞いてる途中で、「あ、これ過去にNさんから一方的にアプローチされた女性側から”Nさんに会った後の感想”を聞いたら、きっとこんな気持ちになるんだろうな」って感じながら聞いてました。
昔のNさんに好かれた女性が、こんなふうに混乱してたんだろうなって。

N:
そうなんですよね。
向こうの気持ちはすごく共感できて、「ああ、昔の自分もこうだったな」って思う部分がめっちゃあって。
でも、同時に、自分はその人を恋愛対象としては好きじゃないっていう感情もはっきりある。

たばこや:
そう、そこはどうしても「好きじゃない」っていうのがあるんですね。

N:
あります。
それともう一つ、「話の良い聴き手」的な視点も出てきて、「どういう質問をすれば、相手の思考が少しでも前向きになるかな」って考えてたんです。
でも、そういう問いかけは全然届かなくて、もう相手の感情がぐっと固まってしまってる状態でした。

たばこや:
そうですよね。
感情でいっぱいになってると、第三者視点が入らない。
しかも今回は、相手は「良い聴き手」と話してるつもりじゃなくて「好きな人」と話してる。
これは厄介ですね。
で、Nさんのように「相手の気持ちを考えずに一方的に好きになっていた過去の恋愛経験」がない人からしたら「面倒くさいおばちゃん」で終わると思うんです。
でもNさんは、過去に似たことで痛い思いをして鬱っぽくもなった経験があるじゃないですか。
だから、共感しすぎてしんどくなっちゃう
でも好きにはなれないし、答えることはできない。
それでも相手には幸せになってほしい――この矛盾にどうやって折り合いをつけるんだろうって気になってました。

N:
伝えるべきことは全部伝えました。
それを相手もちゃんとメモしてくれてました。
あとは、その内容が時間の中で肯定的に作用してくれることを願うしかないな、という気持ちです。

たばこや:
どんなことを伝えたんですか?

N:
最後のほうは、例の「ゼロパーセント」の話です。
それから…相手がすごく文学的というか、小説の登場人物みたいな話し方をする人なんですよ。

たばこや:
へぇ、小説的?

N:
たとえば「彼氏ができたらどんなことがしたいですか?」って聞いたら、「今、父と二人暮らしで、休日は父と朝ごはんを食べて、スーパーに買い物に行って、家事をするような暮らしをしていて――そういう感じの幸せを感じたいんです」って、すごく感情を乗せて語るんです。
かなりリアルで丁寧な情景描写をする人で、それはそれで新鮮でした。
で、僕が気持ちを伝えた後に「私はこれから何を希望に生きていけばいいんでしょうか」と言われたので、「一緒に希望を探すことはできます。話を聞いたり、読書会などに来てもらったりすることで、その手伝いはできます」と伝えました。

相手の気持ちを考えない告白は、性格が悪い

たばこや:
ちょっと刺すようなこと言っていいですか?
かなり強めになります。
…その人(Nさんに告白してくれている人)、性格めっちゃ悪くないですか?
悩み相談中に個人的な恋愛感情を混ぜたうえで、Nさんがどう受け取るかとか、今後もコミュニティに来てほしいって言われている立場でそういう爆弾を落としたら相手がどう思うかとか、一切考えてないじゃないですか。

それに「彼氏ができたらどうしたいか」の話でも、「それって彼氏側から見て心地いいのか?」って視点が全くなくて、自分の幸せの中に他人を引きずり込もうとしてるだけ。
告白する瞬間の相手の気持ちも考えてない。

つまり、相手の幸せよりも自分の満足を優先してるのに、振られたら「傷ついた」って浸る――自己中心的で性格悪いなと思うんです。
…Nさんはそう思わなかったですか?

N:
ちょっと思ったし、そんなにはっきりではないけれど、それも含めて伝えました。
悩み相談のなかで、(相手は)最初はドキドキから始まって、途中でその人の気持ちが「尊敬」に変わったと言ってたんです。
「たとえ恋愛がうまくいかなくても、その人が幸せでいてくれたらいい」とか、ハナミズキの「君と好きな人が百年続きますように」みたいな歌詞を引用してたんですよ。

たばこや:
ああ、「君と好きな人が~」のあの歌ですね。

N:
そうです。
だから振ったあとに、「じゃあ僕が他の人と幸せになるかどうかは、もう関係ないってことですか?」と確認したら、「厳しいこと言いますね」と返されて、それ以上は踏み込まなかったです。
僕も少し柔らかく言いました。

たばこや:
私はズバッと言うタイプなんで、「まず性格良くなったほうがいいですよ」って言っちゃいます。。笑
今の『相手を思ってるように見える言葉』って、実は相手の印象を気にしたときだけ出てるだけですよね?
つまり本当の意味で相手を思ってない。
そういう人は、そのままでは幸せになれないと思うんです。
「性格が悪いから幸せになれない人」を見たとき、Nさんはどうします?

N:
救いたいと思います。

たばこや:
やっぱ思うんですね。
私は「あ、性格悪いからだね」で終わるタイプです。。笑
でもNさんは過去に「自分もそうだった」「でも変われた」という実感があるから、「変われる可能性のある人」だと信じたい
じゃあ問題は、「どうすればその人は変われるのか」ですよね。

あと補足すると、本人が「常に性格が悪い」って意味じゃないです。
特定の状況、特に恋愛モードになると性格が歪むタイプっている。
普段は優しい人なのに、恋愛になると自分が満たされることばっかり考えて相手目線が欠如したりとか。
友人関係では善い人ムーブをしているのに、仕事では条件とか待遇とか、コスパばっかり気にして会社に対してテイカーになっている人とか。
いわゆる「普段はいい人なんだけど、お酒飲むと最低になる人」と構造が同じです。
でもお酒で性格が変わる人はめちゃ叩かれるのに、恋愛で同じことが起きるとあまり叩かれない。

この差が不思議なんですけど、私は同じように突っ込みます。

相手に何をどのように伝えるのが、在りたい自分か

N:
いや、本当に…メンタル落ちそうでした。
自分も一緒に落ちそうになって。

たばこや:
メンタルにきますよね。
救えなさとか無力感とか、そういうものが重くのしかかってきて、しんどくなるやつ。

N:
ああいう人に対して、あの場で「刺しに行く」人って、おそらくいないと思うんですよ。

たばこや:
そうですよね、いないですよね。

N:
Rくん(共通の知人)みたいに、分かりやすくズバッと刺しに行けたらいいなって思ったりもします。

たばこや:
あー、Rさんはね。
あの人は一つ才能があって、本当に「いい意味で鈍感」ですよね。
普通、人って真正面から否定されると傷つくし、防衛反応で怒るんですけど、Rさんはちょっとその感覚が鈍くて、ダメージをあまり受けない。
だからこちらも「刺す」ことができる。
思っていることをストレートに伝えることができる。
あれは才能ですね。
刺しても大丈夫な人って貴重です。

(※店員が料理を運びに来る)

たばこや:
ありがとうございます。
……で、話の続きなんですけど、「刺す」っていうより、「気づかせる」方向で関われるようになったら、Nさんの才能とはめちゃくちゃ相性いいと思うんです。
Nさんって、相手の“弱さ”を見たうえで、その弱さを弱さのまま放置せずに、「じゃあどうやって自己成長につなげるか」まで伴走できるタイプじゃないですか。
それができたら、その人にとって本当に人生を変えるような“1シーン”を提供できると思うんです。

N:
たぶん見せ方とか関わり方次第で、“弱さを見せてもいい人”として関係は作れると思うんです。
相手がしんどい時に話を聞くことはできるし、そこまでは持っていける気がします。

たばこや:
うん、そこは才能ですよね。
Nさん自身が過去に似た経験をしてるから、「この人ここでもったいないな」って分かるんだと思う。
ただ、弱さにも種類があるじゃないですか。
許容できる弱さと、関わらない方がいい弱さ。
たとえば、「人殺しが好きなんです」って人に「じゃあたくさん殺していいね」って言わないですよね。
そうじゃなくて、「その衝動がある中でどう社会と折り合うか」って話をする。
それと同じで、相手の気持ちを全く考えず突っ走るタイプの弱さは、社会との折り合いまでセットで考えないと幸せになれないと思うんです。

N:
そういうとき、たばこやさんならどうします?

たばこや:
刺しますね。
もう、刺しまくります(笑)。
Nさんも実は“刺される”才能あると思うんですよ笑
Rさん(※共通の知人)に近い。
納得できれば痛みを受け止められるタイプ。
だからこそ、一瞬フリーズしても、最後はちゃんと受け止めて、そして生き方が変わる。

N:
確かに、以前も言われましたよね。
「全然相手のこと考えてないね」って。
登山のときも、恋愛じゃなくて「自分はどうありたいか」「相手にどうあってほしいか」の話をして、あれが結構転機だった気がします。

たばこや:
ああ、あの日。
上司との関係を話してたときですね。
相手にどうなってほしいかばかり考えてたやつ。
あの話、私も整理になりました。
相手目線がない人と関わるのって、本当にしんどい。
巻き込まれるから。
だから私は距離を取る派だけど、Nさんは「チャンスがあるなら救いたい」って思うタイプですよね。
問題は、どこまではっきり言うか。
そこが難しい。

N:
そうですね。
当事者にはっきり言う方がいい気がします。

たばこや:
そう、それを上手にできるようになったら強い。
ここに、Nさんがさらに価値提供できる可能性があると思うんです。
だって、Nさんは「昔、自分もそっち側だった」と語れる人だから。
恋愛で盲目的な自己中心型から、相手の感情を考えられるように変われた人なんて、ほぼいない。
もし、そうじゃない人たちが気づいて変われる未来を作れたら、Nさんの貢献値はめちゃくちゃ高いと思う。

N:
うん、そうですね。

たばこやさんって、実際に向き合ってるときはちゃんと共感もできるし、ストーリーとして理解もできるんですけど、場を離れたら感情を引きずらないじゃないですか?
「相手の感情」と「自分の感情」をしっかり分けて考えられるタイプ。
感情を共有しながらも、自分を保てるって強い。

たばこや:
確かに。
相手が落ち込んだまま終わると、Nさん自身も少しメンタル引っ張られるじゃないですか。
なんで落ち込むんですか?

N:
共感してるというより、自分の行動を振り返って「もしかしたら違ったかもしれない」って思うからです。
第三者としてじゃなく、「自分のせいでこうなったかも」って考える。
だから、反省というか自己検証なんですよね。

たばこや:
なるほど。
じゃあ、ちょっと踏み込みますけど――なんで「ゼロ」だったんですか?
もし逆に「あるかもしれませんね」って嘘をついてたら、今スッキリしてたと思いますか…たぶんしてないですよね。
だからこそ、本音でゼロって言ったんだと思うんですけど、そこをもう少し聞きたいです。

N:
納得のいく説明で言うなら、「理由なくゼロに近い」というのが正直なところです。
人間なんで完全なゼロじゃないとは思うけど、ほぼゼロ。
ただ、向こうには「恋愛をしたい」という強い欲求があった。
それを中途半端に残しておくのは、相手の自由を奪う気がした
んです。
「もしかしたら…」って期待を持ち続けるくらいなら、ちゃんと切ってあげた方が次に進める。
だから、ゼロという返事にしました。

たばこや:
今、俯瞰して見ても納得感ありますか?

N:
100%ではないけど、感情的には納得してます。

たばこや:
自分がスッキリする方を選んだと。

N:
そうですね。
完全に相手のためだけではなく、自分のためでもあります。
職場ではまだ顔を合わせるし、外部活動でも接点がある。
「この人、また何か疲れることをしそうだな」って感覚があると、正直しんどい。
だから「ゼロ」にしたのは、自分を守る意味もあります。
相手のため100、自分のため100――合計200のうち半々って感じですね。

たばこや:
なるほど。
短期的には相手は50、自分は100だけど、長期的に見れば相手も100になる、という見立てですね。

N:
はい。
過去の経験から、そう信じてます。
曖昧に関係を続けるより、はっきり断った方が結果的に相手も前に進める。
以前(の恋愛感情があった相手との付き合いで)、はっきり言われずに関係が途絶えた時、すごくしんどかったから。
だったら今回は、その逆を選んだ方がいいと思ったんです。

たばこや:
ひとつ違和感があるので突っ込んでいいですか?
「相手100%・自分100%で合計200%」って話、まだ何か整理しきれてない印象です。
本当にそれでOKなんですか?

たとえば――Nさんが、以前元カノAさんに結構ひどい形で振られたとき。
誠意がない終わられ方をした時って、どんな気持ちでしたか?
いま直接は関係なさそうに見えるけど、後でつながるので一回思い出してみてほしいです。

N:
いろんな気持ちがあって難しいですけど……
当時、相手がメンタル的に落ちていて、「一緒にいるのもしんどい」みたいな状況だったから、「そういう時期ってあるよな」という受け止めはありました。
それに「時間を置けば変わるかもしれないから、一旦受け入れよう」という感覚もありました。

でも一番しんどかったのは、そのあと連絡が途絶えたことです。
すごく苦しかった。
あとは、自分と別れたことで、相手がコミュニティへ参加し辛くなってしまい、自分の大事な価値観(人と人の関係性を大切にすること)を壊してしまった感覚があって、それも辛かった。

それから単純に「自分の好きな人が、自分のそばからいなくなる」ことが悲しかったです。

たばこや:
その気持ち、よくわかります。
で、その話がなぜ今出たかというと――
今回の50代女性の件でも、「ゼロってなぜ言ったのか」「どこまで伝えるべきだったのか」っていう部分に関係してくるからです。

率直に言うと、今Nさんが私に話してくれているような「なぜゼロなのか」という理由、あれを本人にも伝えられたんじゃないかなと思ったんです。

N:
言いましたよ。

たばこや:
お、何を伝えました?

N:
「中途半端な期待を持たせてしまうのが嫌だから」ということは話しました。

たばこや:
それも必要な話なんですけど、私が聞きたかったのはそこじゃないです。
「そもそも、なぜ限りなくゼロなのか」という根本理由です。
つまり、「なぜ恋愛感情が起きないのか」「なぜ上がらないのか」という背景――極端に言えば「今のあなたの在り方では、僕は惹かれない」ということ。
たとえば「相手の気持ちを考えていないから」とか。

それは伝えてもよかった可能性はないですか。

N:
実際に話したのは、「僕はいろんな活動をしているタイプだけど、あなたは日常の小さな暮らしに幸せを見出すタイプで、価値観が大きく違うと思う」ということと、「年齢差」ですね。
ただ、そこから先の核心までは言えませんでした。
「あなたには、人の気持ちを想像せず突っ走る部分がある」というようなことは、言葉にして伝えることまでは考えられませんでした。

たばこや:
ああ、なるほど。
その先は「質問を通して気づいてもらう」というスタイルにしようとしたんですね。
でも、それはうまくいかなかった。

N:
はい。
気づいてもらえる感じではなかったので、そこからは踏み込めませんでした。

たばこや:
私は、ああいう「自分の弱さで他人を巻き込むタイプ」が、それを改善しようとする姿勢もなく甘え続けるのは“性格が悪い”と判断する派なんで……普通に伝えてもいいじゃん、と思うんですけどね(笑)。

でもNさんがそれを言わなかったのは、「自分の一撃の言葉で相手を壊したくない」「救い手が他にいると確信できれば安心して伝えられた」って感じでしょうか?

N:
そうです。
もし「たばこやさんのように刺しても、その後に支えてくれる人」が確実にいると分かっていたら、もっと言えてたと思います。
でも今回は、その“セーフティネット”があるか分からなくて……自分が最後の一撃になってしまうのが怖かったんです。

たばこや:
めちゃくちゃ分かります。
「決定打を自分が打ってしまっていいのか」って、本当に怖いんですよね。
ただ同時に、「だからといって自分が犠牲になるのも違う」「恋愛感情がないと言うだけでは収まらない」――この板挟みはかなりきつい。

N:
そうなんです。
しかも、相手が“受け止める準備”が整っていない状態だと感じたので、そこを突くのはためらわれました。

たばこや:
それは大事な感覚ですね。
どれだけ正しいことを言っても、受け止める準備がなければ意味がない。
そういう意味では、今回の行動自体に大きなミスがあったとは思えないんですよね。。。

でもモヤモヤしているということは「完全に納得はしていない」ってことですよね?

N:
はい。
「ミスった」とまでは思ってないですが、もし今後また似たケースが来た時は、もっと違う伝え方や距離の取り方がある気はしています。

たばこや:
それと、「月曜から療養休暇に入るかもしれない」と言われると、スッキリもできませんよね。
私は正直「厄介な人、来なくなるならラッキー」って思っちゃうタイプですが、Nさんはそこに「責任感と共感」が乗るから、簡単には切れない。

N:
そうなんです。
相手は「あなたについていきたい」と思っているようで、それを家族(父親)にも話しているようでした。
そういうタイプだからこそ怖くて……そのまま切り捨てていいのか、悩んでしまう。

たばこや:
ここまでしんどくなる相手なら、「悩み相談も含めて最初から断ち切る」という選択肢もあったくないですか。

N:
確かに。でも、自分はそういう「しんどい人」こそ救いたくなるところがあって……
ただ、それを自分だけが抱える必要はないと思っています。
たとえば、自分がいない別のコミュニティに繋げるなど、自分が直接関わらない形で救われる道もあると思うんです。

たばこや:
そういう人がコミュニティに来たら迷惑じゃないですか?

N:
同じ傾向の人が集まる場もありますよね。

たばこや:
自助会みたいな。
あるある。
確かに、迷惑だとは思わない場もありますね。

N:
そう。
まさに「そういう人に来てほしい会」ってあるはずで。
だったらそこに行ってもらうのがいいのかなと思ってます。

たばこや:
じゃあ方針としては、Nさんは直接の関与はできるだけ減らす。
でも、合いそうな自助会があれば紹介する——それが一番しっくり来る生き方
、って感じですね?

N:
うわ、、たばこやさん話法だ。。。

たばこや:
そうです笑
相手がキレイごと寄りなら、こっちは極端に振り切るやつ。

N:
自分としては「なんとかしたい」「納得したい」なんですよ。
今回で言えば、たばこやさんに話せてるから、メンタルは保てている。
だから、これまでのやり方を当面は続けるのが仮の正解かなと。

たばこや:
今の“したい”で語るNさん、好きです。
世間の「〜すべき」に縛られてない。
エゴとして「救いたい」。
結果、救えないことがあっても、それでも救いたいって思う。
そこが良い。
だからこそ今回のことはしんどいですよね——救いたかったのに救えなかった。
その悔しさを次回に活かして、「どう在れば救えるか」を検証できたら、少しスッキリしそう。

N:
ただ、恋愛に関してだけは、ちょっと及び腰になる自分がいます。

たばこや:
私の人の話を聴くときあるあるを1つ共有させてください。
恋愛の話を、恋愛としては聞かない。
「対人コミュニケーションの一事例」として扱う。
1対1のやり取りの“特殊ケース”でしかないから、土台は常に対人スキルの話。
アドバイスも気づかせも、対人の原則で組み立てる。
今回の相手は、ジャンルが恋愛かどうかに関係なく、そもそも対人関係のところでエラーが起きてる。
だから恋愛だけを特別扱いしない。
むしろ「なぜ恋愛だけテイカーになるのか?」を解く。

N:
それ、すごく腑に落ちます。
恋愛だから外す、じゃなくて、対人として話せばいいんですね。

たばこや:
そう。
で、課題は「自分を好きな人」を相手にそれをやると、関係がこじれやすいこと。

N:
要はモテ慣れてないんですよね、自分が。
モテる人って、いろんな人の“恋愛感情度”を測るのが上手くて、必要ならサッと線引きできる。

たばこや:
うん。
本人たちは「軽視してない」って言うかもしれないけど、私から見れば“軽視”できるくらい感情の分離ができてる。
「人の気持ちは人の気持ち」「自分の気持ちは自分の気持ち」。
この分離ができている。

N:
それができれば、こう言えるはずなんですよね。
「あなたは僕を好きなんですね、ありがとうございます。僕は恋愛としては好きじゃない。じゃあ、一緒にどうしたら良いか考えましょう」と。

(※店員が会計・案内の声かけ。会話はそこで一旦区切れる)

たばこや:
「嫌われたくない」と「救いたい」、どっちが強いですか?

N:
救いたい、ですね。

たばこや:
じゃあ、相手にめちゃくちゃ嫌われても、結果的にその人が救われるならそれでいい? たとえ相手の遺書に「あなたのせいで人生めちゃくちゃでした」と書かれていたとしても、客観的には救われている状況、ってこと。

N:
はい。
僕が救う必要はなくて、誰かに救われればいい。
絶対、救われてほしいです。

たばこや:
本当にそう思うなら、自助会の紹介が一番筋が通るんじゃない?

N:
確かに。
ただ、自助会で“救い”が生まれる実感を、僕はまだあまり持てていないんです。

たばこや:
私は価値を感じる派だけど、そこは人それぞれ。
じゃあ、「この人なら信頼できる」と思える第三者が見つかればOK?

N:
そうです。
僕がカバーできないところを補ってもらえる人がいれば、かなり解決に近づく。

たばこや:
なら、今は“そういう人探し”が現実的な一手ですね。
今回については……Nさん自身の手では救えない、が今の結論だと思う。

N:
うん、救えないのは救えない。
現状は仕方ない。

そして、ここで僕が止まって思考を占有されると、他で救えたはずの人を取りこぼす可能性が出てくる。一人に時間と労力をかけすぎるのは違う、とも思っています。これはエゴでもあるけど。

たばこや:
そうですねよね。
じゃあ別の問いもさせてください。
その人と“心地よく他人になる”には、どうしたらいい?
いっそ仕事を辞めて連絡先も切る――極端に言えば、それでスッキリします?

N:
時間が経てば薄れるけど、行動としてはスッキリしないです。
仕事上の縁を断つ、連絡を遮断する、というやり方には納得がない。

たばこや:
じゃあ、“連絡を断ってもスッキリできる条件”は?

N:
相手に「安心できる別のつながり」があると分かったうえで切ること、です。

たばこや:
なるほど。
今の相手はNさんに悪い寄りかかりをしている。
だから、その寄りかかりを断つために線を引く――それって「ゼロ%」と宣言したのと同じ構造だと思うんですけど、連絡断絶は躊躇うのはなぜ?

N:
相手にとっては、“恋人になるか、完全な他人か”の二択しか見えていないんです。
でも、僕には「友人として」「職場の同僚として」の関わりも存在する。

その中間の関わり方を提示していました。

たばこや:
境界線の置き方の違いですね。
恋愛だけ切ったけど、人間関係としては残した。
構造は正しい。
一方で、「ゼロ%と言った」のは、相手の可能性信仰を断って次へ進んでもらうためでもあったはず。
連絡を残すことが、相手の“次”を遅らせる場合もある
――ここは要検討ですね。

N:
職場では会う、でもプライベート連絡は返さない……みたいなこと…
線引きは難しい。

たばこや:
問いを変えます。
関わり続けることって、本当に“優しさ”ですか?

N:
……優しくないかもしれないですね。

たばこや:
仮にNさんが「人気取りのために弱者へ優しくする」みたいな人なら割り切れるけど、そうじゃない。
じゃあ逆に、コミュニティ参加の動機が「Nさん目当て」だと聞いたら、どう感じる?

N:
嬉しさより、不快でした。
「振られたからコミュニティには行けません」と言われた時、ああ、場そのものではなく“僕に会うためだけ”に来ていたのか、と。

ただ、もし僕が「ゼロじゃないよ」と言い続けていたら、とりあえずは来る。
そこで友達ができたり、僕がいない時間帯でも居心地が良くなったり――場に根を張る可能性もある。
そういう“戦法”も一案だな、とは思いました。

たばこや:
私個人で言えば、「たばこやさんにも会いたいから来ました」は嬉しいんですけど、でも「Nさんに会えないなら行きません」は、ちょっと違うんですか?

N:
それは、“その人から好かれたいから来る”という動機に近いからですね。
何かを学びたい・感じたいではなく、評価が欲しいために来る。
「○○さんにも会いたい」と思ってくれるのと「評価してもらうために頑張っている」は違う。

たばこや:
うん。
「結局、自分のために優しくしてただけだね」という話とかと同じ構造ですね。
付き合う前は奢るのに、付き合った瞬間やめる人みたいな、“優しさの条件付き”
今回で言うと好かれるためのコミュニティ参加。
それは確かにちょっと、やっぱり嫌な気持ちになります。

N:
……確かに、それでした。

(※会計を済ませ、車に移動)

不幸な人ほど、「自分が求められていない」を無視している

N:
そういえば、先日夜に友人Bさんと会いました。

たばこや:
へぇ、そうなんですね。
さっきの話もまだまだ聞きたいけど、その件も聞かせてください。

N:
実は“友人Bさんの話”というより、自分の話なんです。
前回、一緒にやったイベントの後に振り返りも兼ねてでご飯に行ったとき、たばこやさんがすごく寄り添ってくれたじゃないですか。
あれ、ありがたかったんですが……あれを体験してしまうと、普通の人の接し方が急に冷たく感じて、満たされなくなるんです。

たばこや:
分かる。
基準が上がるんですよね。

N:
そう。
友人Bさんに「今日、人を振っちゃって…結構ショックで」と話しても、「あ、そうなんですね」で終わってしまう。
Bさんが悪いわけじゃないのは分かってるんですが、自分の中でハードルが上がってる人に対して、どうしてもアンテナが立ってしまう。
仲良くなろうとしているときほど、そこを見てしまいます。

たばこや:
それ、すごく良い気づきですよね。
「大切にしてくれない人を好きになる」問題の逆バージョンで、相手を好きかどうかの基準に“自分を大切にしてくれているか”が考慮されるようになったってことですよね。

N:
まさに。
それで言うと、たとえばLINEが返ってこないのも、「大切にされていない」と感じます。

たばこや:
誰かから2週間返信なし、とか? 旅行の段取りが進まない(ちょっとした内輪ネタ)、みたいな、ね笑

N:
思い出したんですが、先日別の食事会でも話題になりました。
「一度しか会ってないのに、なんで私を好きになるの?」って言っている女性が居て。
初対面で人を好きになっちゃってた自分の場合、1回会って「いいな」と思うと、妄想の中で何度も会ってるんです。
だから相手も自分を好きになってる前提になって、勝手に両想いになってる。
だから“好き”になる——そういう答え。

たばこや:
名言ですね(笑)。
“妄想で何回も会ってるから、もう両想い”。
今度使います。

Nさんと一緒にやったイベントの後に私がやった“エゴへの寄り添い”は、参加者全員に発動しているわけじゃないんですよ。
自分の場合、「Nさんがいてくれて助かってる」という前提があるから、運営に関わる人には“その人自身の○○したい”で動いてほしい、という期待がある。
参加者は「価値観が合わないなら来ない」でいいけど、運営は「付き合いでやる」だと後々きつい。
だから今のタイミングで「次回は運営外れる/参加したい意図を持つ」のどちらかをはっきりさせたい。
今後も関わってほしいからこそ、Nさんの“○○したい”という推進力が欲しかった。

N:
一般には、「自分が助かったから、ありがとう」で終わる人が多い。
でもその先——相手の“したい”が叶う形で渡せるかどうか、相手目線に立てるかどうかで分かれる。
自分は、その“在り方”をあまり意識できていなかったと気づきました。

たばこや:
私も今回の件で言語化が進みました。
意識的にできるのと、運任せは違う。
活かしていきたいです。

N:
それをやられたら、相手は好きになりますよ。
多分。

たばこや:
モテたいですね(笑)。
…で、Bさんとの時間自体は、正直あまり楽しくなかった?

N:
はい。
なぜかの検証をすると、自分は“相手が楽しんでいる”と感じられないと自分の話ができないタイプなんです。
「もっと聞きたい」という空気が弱いと、話しても楽しくなくて、結果として自分も楽しめない。

たばこや:
相手が楽しんでない中で一方的に話しても、そりゃ楽しくない。
Bさんの興味が弱かったのか、Nさんの話し方がハマらなかったのか、そのどちらもあり得るけれど、少なくとも満たされた時間にはならなかったわけですね。

N:
それともう一つ。
会話とは別で少し引っかかったのが、Bさんから、「みんなで集まりましょう」という趣旨のお誘いを受けた点。
それ自体は嬉しいんですけど、僕にとってのメリットや配慮が感じられないと、あまり気が乗らない。
知り合いを呼べるか聞いたら具体名が出ず、「みんな仲いいし楽しいでしょ?」みたいな温度で、こちらの事情はあまり考えてくれてないと感じてしまって、嫌でした。

たばこや:
それはBさん“らしさ”でもありますよね。
誘いへの温度差や相手の動機を読むのが苦手。
そこは私の方でも少しずつ伝えていきます。
時間はかかるけど、徐々に変わるタイプなので。

ひとつ持論を言ってもいいですか?
『哲学カフェ』(新潟市や三条市で定期開催されているイベント)でも出したテーマなんですが、「不幸な人は、自分が求められていない・歓迎されていない場所に行きたがる」っていう話です。

たとえば今回の件でいえば、正直Bさんと積極的に会いたいタイプではない人っていると思うんですよ。
でも本人が「自分は会いたいから」という理由だけで押してくる、みたいな構図になってるじゃないですか。

これって、仕事でも似たことが起きていて。
たとえば、Rさんが「自分を欲しがっていない会社」にばかり応募しようとするとか。
私からすると、「まずは自分を歓迎してくれる会社に行けばいいじゃん」と思うんです。
でもそうじゃなくて、「自分が行きたい」という理由だけで選んでしまう

もちろん肩書きや見え方を考えるのは悪いことではないけど、本来“幸せな選び方”には「自分が歓迎されているか」「求められているか」という感覚が含まれるはずなんです。
それが抜け落ちているケースが多い。

今回のBさんの件でも、周りがそこまで「Bさんと一緒に行きたい!」という空気がない中で、本人だけが「やりたい・来てほしい」と思ってしまう。
こういう構造って、“不幸体質の人”によく見られる特徴
だなと思いました。
「自分を全く好きじゃない人と付き合おうとする」のと構造が同じです。

N:
ああ、それは分かります。
僕自身も、それをやっているところがあります。

たばこや:
ですよね。

N:
ただ、それでも受け入れてくれる人がいるうちは、一時的には幸せを感じられるんですよね。

たばこや:
そう、それは「妄想で補った幸せ」であって、長続きしないし、持続可能じゃないんですけどね。

人の痛みに気付く

たばこや:
そういえば職場の人の件、スッキリしました?

N:
だいぶスッキリしてきた印象。
完全ではないですけど、かなり整理されてきた感じもあります。

たばこや:
よかった。
途中までの話を聞いていて、「“必ず関わらなきゃいけない前提”で話していたな」と思っていて。
でも実際には、「関わりたいなら関わる、関わらない選択肢もある」と思うんですよね。
それを前提に置けたことで、少し楽になったんじゃないかと思ってます。

で、もうひとつ。
今回のこの出来事って、“過去のNさんの恋愛のやり方”を完全に抜け出すきっかけになる可能性、かなり高いですよね。

N:
それは本当にあります。

たばこや:
つまり、この出会いはマイナスだけではない。
少なくとも、Nさんの成長を促した側面は確かにあると思う。

N:
そうですね。
前にも言いましたが、「感情度ゼロの相手から強い好意やアプローチをされると、こんなに負担になるんだ」ということを、めちゃくちゃ体感しました。

たばこや:
“ちゃんと迷惑だし、ちゃんと嫌だ”っていうやつですね。
そして「本当に勘弁してほしい」って心から思う感覚を受けたとき、「自分が誰かにそう思われるのは本当に耐えられない」と強く感じる、と思うんです。

N:
はい。
これまでその“耐えられない”という感覚の解像度が、自分の中ではまだなかったんです。
だから「相手がどう感じているか」を本当にリアルには想像できていなかった。
“相手はいやかもしれない”と頭で理解しても、それを自分の感情としては持っていなかったんです。

たばこやの所感

今回話しているのはただの恋バナや世間話ですが、一貫したテーマとして「自分の気持ち」と「相手の気持ち」を両立するというのがあったように思います。

Nさんはもともと、相手が自分に恋愛感情を抱いていないのに、「めっちゃ好き!」ってなってしまって、とにかく気持ちを伝えたくなってしまって、相手の気持ちがまだ全然上がっていないのに告白をしてフラれて相手との関係性がゼロになるような経験をしていた方。

「告白って良いことじゃん」

「何度も好きって言っていたら相手の気持ちが変わるかもしれない」

そういう想いで、突っ走っていた方。

でも今回、本当に好きじゃない人から、何度もアプローチされる不快さをリアルに経験した。

そのときの共感と葛藤がすごく素敵だなと感じる雑談でした。

人を好きになるのは自由だし、好きという気持ちそのものは美しいと思います。

でも自分が好きな気持ちに溺れて、相手の気持ちを考えなくなるのは、性格が悪い。

社会の中では このことが濁されがちで、相手の気持ちを考えずに 好きな気持ちに溺れたまま相手に告白して、それで上手く行ったりフラれたりする設定の主人公が あたかも良いかのように描かれているマンガやアニメも多い。

それどころか、そんなに色々考えていたら人生楽しくなくない?みたいに「相手の気持ちを考えない」ということを正当化する言葉もたくさんある。

でも、やっぱり自分が全く恋愛感情の湧かない相手に、一方的に恋愛的な行動を強いられるのは、ストーカーに付きまとわれるような不快さしかないと思います。

私は、せっかく「好き」という美しい気持ちがあるのなら、それが相手にとっても「嬉しい」と感じた方が良いと思うんです。

「相手は私が好きだということを嬉しいと感じてくれるかな?」

「私は相手がもっと一緒にいたいと思えるような言葉・行動・生き方ができているかな?」

そうやって考えて、お互いの「好き」が少しずつ重なるように思いやる時間が、「好き」に溺れて周りが見えなくなる時間よりも、はるかに優しくて、美しい幸せのカタチだと思うんです。

「好き」という気持ちは、本当に美しい。

だからこそ、

相手の中の「好き」という気持ちも大切にしたい。

社会の中で「自分の気持ち」と「相手の気持ち」をしっかりと両立する文化が拡がっていったら嬉しいなと感じます。

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