人生逆転劇を果たした社長から学ぶ、人生で1番不幸な出来事への向き合い方。

人物

あなたにはトラウマは存在しますか?

自分には何の罪もない、不幸な出来事を経験したことはありますか?

そのとき、何を考えて、どういう未来を選択しましたか?

新潟のテントサウナの第一人者である、石ちゃんは、過去に、あまりにも厳しい家庭環境壮絶な不幸を経験していました。

石ちゃんの経験に触れることで、あなたは、過去のトラウマや不幸な出来事に対する自分の行動が選べるようになります。

石川雄喜さん(通称 石ちゃん)ってどんな人?

2023年ころから本格的にテントサウナのビジネスを始めて、2024年の春の今では、新潟で、テントサウナと言えば1番最初に名前が出てくる方です。

2つの事業の代表をされているとは思えない、全く圧のない雰囲気の方で、よく笑い、立場関係なく色んな方を応援している、素敵な方です。

出身は広島県廿日市市(世界遺産の厳島神社があるところ)

昭和57年生まれ

新潟市中央区で小さなシステム開発会社と、テントサウナ事業の経営をしています。

テントサウナのレンタルできます!!
テントサウナをご存知ですか? 海辺や森の中、時には都会のビルの屋上など、開放感溢れる場所でのサウナは格別です! 最近のサウナブームで、街中のスーパー銭湯のサウナは満席状態。 日常を離れ、自然の中で、景色の良いロケーションで、「サウナを持ち運

「これだけのポジションにありながら、それを感じさせない雰囲気の理由」

「どうして40歳を超えてからテントサウナのビジネスに挑戦したのか」

石ちゃんのヒストリーを振り返り、今の石ちゃんはいかにして出来上がったのか。また、これからどんな未来を得たいのか

石ちゃんの努力や才能を見つけていきます。

※過去が壮絶過ぎて、一部精神的に辛くなる部分もあります。心に余裕があるときに、ぜひ読んでみてください

学校で1番貧乏だった。ギャンブル狂いの父親と借金。

石ちゃんは、現在は社交的で穏やかな人柄を持ち、周りの人々を応援し、様々なことを楽しんでいるように見えます。

しかし、彼の幼少期は決して平穏なものではありませんでした。

石ちゃんの家庭は、昭和の時代を彷彿とさせるほどの貧しさに見舞われていました。

その貧困の背景には、父親のギャンブル狂いがありました。

父親は仕事はできる人物でしたが、ギャンブルへの執着が借金を生み出し、家族を苦しめていました。

4年に1回のように大きな借金を作り、その都度、周囲の人々が助けて借金を肩代わりしてくれましたが、父親は繰り返し同じ過ちを犯していました。

この状況は石ちゃんの家庭環境に深刻な影響を及ぼしました。

両親の仲は悪く、常に喧嘩が絶えませんでした。

石ちゃんは、幼少期から親の喧嘩を見ることが日常であり、家族で楽しく遊ぶ記憶はほとんどありませんでした。

「自分がなぜ生まれてきたんだろう」

そんな疑問を抱えながら、希望のない、ひもじい日々を送っていました。

石ちゃんは長男で、2人の妹がいましたが、家族の中で自己主張をすることはほとんどありませんでした。

たとえ欲しいものがあっても、「■■■ほしい」なんて口にすることは、母親の怒りに触れることでした。

彼は希望を語ること、何かをしたいと言うこともできず、ずっと自分の感情を抑圧されていました。

特に記憶に残るのは、小学校5年生の時に市民プールに誘われたときのことです。

入場料はわずか100円から200円程度でしたが、石ちゃんにとっては大きな壁でした。

友達から誘われたプールにどうしても行きたくて、母親に相談しましたが、返事はやはり「何考えてるの。良いわけないでしょ」

たった100円200円なのに、「お金がなくて行けない。。ごめん。。」そういう石ちゃんに同情して、結局、同級生の母親がお金を出してくれてプールに行くことになりました。

プールには行けたものの、このような経験が彼の中にコンプレックスを築き上げていきました。

友達との関係にも影響が出ており、家庭の貧困は、彼の社会生活にまで及んでいました。

中学2年生の時に、父親が作った借金が最も大きくなりました。

父親は借金苦により行方不明となり、家族はさらなる困難に直面しました。

母親はお金のことで悩み、ヒステリックに怒ることが多くなります。

当時の石ちゃんは何も言えない、何もできない状態に追い込まれていました。

石ちゃんの幼少期は、貧困と家庭内の不和、そして自己の感情を抑圧する環境によって、非常に厳しいものでした。

彼は自分の欲求や願望を口にすることができず、常に家庭内の緊張感の中で生活していました。

精神障害の母親からの家庭内暴力に耐え忍ぶ生活

父親が失踪し、母親がひとりで子育てを始めた頃から、彼の家庭環境はさらに厳しくなりました。

父親が残した借金のせいで、石ちゃんは度々借金取りに脅され、家庭内では母親の精神状態が悪化していく様子を目の当たりにしました。

母親は、経済的な困難や夫の失踪によるストレスから、徐々に精神的に不安定になっていきました。

その不安定さはやがて、家庭内暴力へと発展しました。

石ちゃんは母親から掃除機のホースで殴られるなど、身体的な虐待を受けるようになります。

高校生になっても、その虐待は続きました。

高校男児なので、それなりに力はつきます。

「ふざけんなよ。やめろよ」石ちゃんが反抗すると、今度は妹たちが家庭内暴力の矛先に立たされました。

石ちゃんは、家庭内の状況から逃れるために、小学校からの同級生の家に避難することもありました。

その友人の家族は、石ちゃんの複雑な家庭環境を理解してくれ、いつでも泊まっていいと言ってくれました。

しかし、石ちゃんの苦難はここで終わりませんでした。

高校3年生のとき、彼はボランティア活動を通じて知り合った年上の女性と恋愛関係になりました。

人生で初めて訪れる幸せな瞬間でした。

年頃だったこともあり、親には年上の彼女の存在は隠したまま、「友達の家に泊まる」と言って、家に帰らないことが多くなっていました。

でも、その関係が母親の怒りを買うことになるのです。

母は、どこかで石ちゃんの年上の彼女の存在を知り、石ちゃんが嘘をついていたことが、自分をこんな人生に貶めた元夫の影と重なったのです。

家庭内の状況はさらに悪化します。

ある日、石ちゃんが家に帰ると、母親が刃物を持って待ち構えており、彼を殺そうとするまでにエスカレートしたのです。

親が、刃物を振り回してくるんです。

もう家には帰れませんでした。

母親は、石ちゃんの彼女の職場に乗り込んで、「こいつは未成年と付き合っている。わが家の息子をたぶらかした。最低な女だ」と騒ぎたてました。

石ちゃんに唯一幸せを与えてくれた彼女でしたが、職を失い、精神的に参ってしまい、石ちゃんを拒絶するようになりました。

石ちゃんは家にも帰れず、彼女の家に避難することもできなくなったのです。

ホームレス高校生。救いのない社会。

石ちゃんの苦難は、家庭内の暴力から逃れるために家を出た後も続きました。

彼は高校3年生の夏から約2ヶ月間、ホームレス生活を余儀なくされました。

帰る家もなく、親しい人々にも頼れない状況で、彼は公園などの目立たないところにうずくまって、夜を耐えしのぐしかなかったのです。

この期間、石ちゃんは社会のシステムに救いを求めましたが、彼が直面したのは、救いのない現実でした。

彼は児童相談所、家庭裁判所、警察といった機関を訪れましたが、どこも彼を適切に支援することはありませんでした。

児童相談所は18歳未満の子供を対象としており、石ちゃんは当時18歳だったため、支援の対象外とされたのです。

信じられますか? まだ高校生なのに、支援の対象外だと帰されるのです。

家庭裁判所では、彼の状況を「警察の案件だから」と追い払い、警察では先に母親が手を回していて、石ちゃんの話を真剣に受け止めてくれませんでした。家に帰らない不良少年くらいの扱いでした。

石ちゃんは、社会のシステムが彼のような状況にある若者を適切にサポートできないことに絶望しました。

彼は自分以外のすべてを恨み、助けを求めることを諦めました。

この経験は、石ちゃんに深い傷を残し、当時の石ちゃんが社会に絶望するには十分な出来事でした。

社会への絶望から救ってくれたのは、おせっかいな地域コミュニティ。

石ちゃんはその後、親戚のつてで、母方のおばさんが管理するアパートの誰も借り手のつかない小さな暗い部屋を借りることができました。

おばさんのご厚意で、家賃無料で提供されましたが、生活の面倒は見てもらえるわけではありませんでした。

それでも彼にとっては、ホームレス生活から脱出し、少しでも安定した日常を取り戻すための避難所となりました。

アパートでの生活は決して楽ではありませんでしたが、それでも雨風がしのげて、親に殺される心配もない場所でした。

暗い室内。

小さな箱。

毎日、何もない天井を眺めて、「ヤクザになるか、死ぬか。」 そんなことを考えていました。

まだ高校生なんです

苦しい生活の末に、親に殺されそうになり、社会で助けてくれる人はいない。

まだ死んでいないから、生きているだけの生活でした。

そんな彼の人生に大きな転機をもたらしたのは、小さい頃に勝手に所属させられていた地域のコミュニティの存在でした。

コミュニティの青年団が、石ちゃんのことをずっと探し続けてくれていて、石ちゃんを見つけてくれたのです。

「かわいそうだけど、自分が助けるわけじゃない」という他の大人とは違い、彼らは今の人生を諦めた石ちゃんに本気で叱ってくれました。

食料を届けてくれ、勉強を教えてくれました。

彼らの中には、石ちゃんが大学進学を目指すよう励ます人もいました。

彼らは石ちゃんの人生を真剣に考え、彼が自分自身を見失わないように導いてくれました。

また、彼らは石ちゃんに「どうせ失うものもないから、未来を信じてみたらいいじゃないか」と言ってくれました。

人生のどん底を味わっていた石ちゃんには、この言葉がストンと心に響き、彼は自分自身の人生と向き合うことを決意しました。

地域コミュニティの支援のおかげで、石ちゃんは大学に合格することができました。

彼は新聞配達のアルバイトをしながら奨学金を得ることができる新聞奨学生の制度を活用して、大学への道を切り開きました。

この経験は、彼にとって人生を変える転機となりました。

彼は自分を信じ、未来を信じ、学業に励むことで、自己実現の道を歩み始めたのです。

元気な他の大学生。心がついていかない日々。

石ちゃんの大学生活は、彼が長年夢見てきたものとは大きく異なっていました。

念願かなって大学に進学したものの、彼は新聞奨学生としての過酷な労働と学業の両立に追われる日々を送っていました。

朝は2時に起きて約300部の新聞を配り、夕方には夕刊の配達と集金が待っています。

そのような過密スケジュールの中で、彼は精神的な余裕を失い、徐々に心が追いつかなくなっていきました。

石ちゃんは大学内で孤独を深く感じていました。

彼の周りには楽しそうにサークル活動や友人と過ごす同級生たちがいましたが、彼自身はそうしたコミュニティに溶け込むことができず、人間不信と劣等感に苛まれていました。

その結果、彼は人との関わりを避け、自分を孤立させるようになりました。

また、他の学生たちとのギャップに嫉妬と自己嫌悪を感じ、ますます自分を追い込んでいきました。

このような状況の中で、石ちゃんはメンタルヘルスの問題に直面しました。

朝起きると体が動かない日もあり、生きる気力を失うこともしばしばでした。

彼は完全に病んでおり、もしその時に医者に相談していたら、何かしらの精神疾患と診断されていたかもしれません。

彼は大学に通うことができず、生活のためになんとか新聞配達の仕事だけを続ける。

何のために大学に来たのか。

応援してくれた方々に合わせる顔もありませんでした。

不幸の再来。地元の警察からかかってきた1本の電話。

石ちゃんの大学生活は、心が追いつかない孤独な日々でした。

しかし、彼の人生にさらなる試練が待ち受けていました。

ある日、石ちゃんの携帯に広島県警からの電話が鳴ったのです。

「石川さんですか。覚悟して聞いてください。妹さんが大変痛ましい事件に巻き込まれた」

石ちゃんが大学に進学して家を出てから、彼の妹が母親の暴力のはけ口となっていました。

結果として、妹は家出少女となり、広島の繁華街を彷徨う日々を送っていました。

そして、石ちゃんの妹はレディースの総長とトラブルになり、監禁され、総長と他3人の男性から、3日間にわたる暴行を受けたということなのです。

たくさんの暴行。マンションの高層階から吊るされたり、走っている車から落とされそうになったり。

このままだと本当に殺してしまうと不安になった、加害者の仲間が警察に通報したことで、彼女の命は辛うじて救われました。

「あぁ。自分はなんてことをしてしまったんだ」

自分がいなくなったせいで、妹が辛い想いをしているのに、そんなことなんて知らなかった。

自分は大学にも行けず、こんな生活をしていて。。何のために大学に来たんだ。

ただただ、後悔と自己嫌悪に押しつぶされます。

この事件を受けて、石ちゃんは大きな決断を迫られました。

警察からの連絡を受け、母親が妹を引き取ることを拒否したため、彼は妹を自分のもとに引き取ることを決意しました。

当時の石ちゃんは自分自身の生活も精一杯で、大学にもろくに通えていない状態でしたが、妹を守るという決意を固めたのです。

東京駅まで妹を迎えに行ったときのことは今でも忘れられません。

妹は、暴行により顔はパンパンに膨れ上がり、髪は半分だけがいびつに切り落とされていて、目には生気がありませんでした。

彼女の傷ついた心と身体を目の当たりにし、自分の無力さと絶望を感じました。

彼は妹とともに新たな生活を始めるために、新聞配達の仕事を続けながら、二人で支え合う道を選びました。

荒んだ妹に振り回される大学生活。

一度傷つき切った妹の心は、すぐには回復しませんでした。

東京に来てからも、夜の街をうろうろし、バイトもせず、時には行方不明になることもありました。

石ちゃんは妹の面倒を見るために、新聞配達の仕事を続けながら、地域コミュニティの支援を受けて、生活を支えました。

しかし、妹の行動は変わらず、石ちゃんは妹に裏切られる感覚に苛まれることになります。

「こんなに苦しい中、引き受けたのに、恩も返さずに、遊び歩いて何を考えているんだよ!」

そうやってイライラを募らせていきます。

妹は何度もトラブルを運んできました。

あるとき妹は暴力を振るう男と関わり、暴力を恐れて逃げられないという状況に陥ります。

石ちゃんは再び妹を救い出し、新たな生活を始めますが、妹の問題行動は続きます。

結局、妹は再び失踪し、石ちゃんは絶望感に打ちひしがれました。

妹が家に帰らず、連絡も返さなくなってから、1年ほど経ったある日。

急に妹から電話がかかってきました。

「お兄ちゃん、ずっと連絡してなくてごめん」

「お前なぁ、ずっと何やってたんだよ。ふざけんなよ」

「ごめん。でも聞いて。私、子どもができたの」

なんと、妹は社会人との間に子供ができ、結婚を望んでいました。

大学4年生にして、娘を嫁に出す父の気持ちを知りました。

石ちゃんの大学生活は、妹の問題に振り回される日々でしたが、最終的には妹が幸せな家庭を築くことを見届けることができたのです。

今の奥さんとの出会い

石ちゃんが大学3年生の時に履修した「経営とコンピュータープログラムの有効活用」という授業が、二人の出会いの舞台となります。

石ちゃんは当時、他の学生との接点を持たず、授業にもやる気なく参加していました。

そんな彼に、教授が授業中に突然声をかけます。

「お前なんでそんな文句ありそうな顔してんだよ」

300人もの学生がいる教室で、急に恥ずかしい思いをさせられて、石ちゃんは文句の一つでも言おうかと教授の研究室を訪れました。

少し憤慨しながら研究室に入って来た石ちゃんを見て、「おぉ、やっぱり来たか! まぁ、そこ座ってお茶でも飲むか」と教授は慣れた様子で優しく歓迎しました。

そこでの会話を通じて自分の過去や現状を語り、教授からは「俺のゼミに来い」という言葉をもらいます。

この教授のおかげで、石ちゃんは大学内で初めて人と深く関わることになります。

そして、そのゼミで出会ったのが、後の奥様です。

彼女は同じ学部で、石ちゃんとは1年違いの学生でした。

石ちゃんは後に振り返って、「あの時教授にちょっかい出してもらってなかったら、奥さんとは出会ってなかったな」と語っています。

石ちゃんと彼女は子どもを授かり、石ちゃんは大学卒業とともに彼女の実家のある新潟に婿入りすることを決めました。

彼女の実家は金融業を営んでいたので、このときは「逆 玉の輿やなぁ」と嬉しい気持ちでした。

婿入りした奥さんの実家での苦闘

彼が大学を卒業し、結婚して新潟に婿入りした際、彼は奥さんの実家が経営する金融会社で働き始めました。

しかし、そこでの労働環境は非常に厳しく、彼は自分の人生と仕事に対する価値観を見失いかけました。

石ちゃんの最初の仕事は、新潟での人脈も経験もない状態で、個人宅飛び込み営業というハードルの高い業務を命じられました。

彼は1件1件住宅を訪問する飛び込み営業を行いましたが、もちろん、成果は出ませんでした。

さらに、義理のお父さんからは無理難題が次々と課され、「クレジットカード事業を始めろ」「金融システムを創れ」といった無茶な要求が続きました。

石ちゃんは、プログラミングの知識をほとんど持たない状態で、必死に勉強し、何とか使えるシステムを創り出すことに成功します。

しかし、その価値を当時は理解していませんでした。

彼は自分を殺して、我慢し続ける毎日を送り、仕事に楽しさややりがいを求めることはありませんでした。

あるとき、知り合いが金融系のシステムで困っている企業を紹介してくれ、彼は初めて自分の作ったシステムが売れること、その価値に気付きました。

そして、システム屋を立ち上げ、金融システムを販売し始めました。

このビジネスが順調に行き、やがて本業を越えるようになりました。

金融システムの会社を本業として、ようやく自分の足で自分の人生を歩むようになるのです。

恨みつづけた両親との感情の精算

石ちゃんの人生は、恨みつづけた両親との感情の精算の過程でもありました。

彼の話には、様々な困難を乗り越えてきた強さと、家族との関係を再構築する過程での成長が感じられます。

石ちゃんは幼少期から母親との関係に悩まされていました。

母親は彼に対して「あんたが生まれたせいで、私は看護師になれなかった」という言葉を投げかけ、石ちゃんはその言葉に傷つき続けてきました。

長年にわたって、彼は母親に対して「あんなやつ、早く死ねばいい」という恨みの思いを抱えていました。

しかし、30代に入ってからの石ちゃんに、母親に対する思いの変化が現れます。

母親が再婚し、乳がんで余命半年と診断されたという連絡がきた時、彼は地域コミュニティに従って、母親の病気の回復を願うことを決意します。

あれだけ人生をめちゃくちゃにした元凶とも言える母親の幸せを願うことは、石ちゃんにとって簡単なことではありませんでしたが、実の親の病気克服を祈りを続けるうちに、彼の中で何かが変わり始めます。

このまま母親を恨み続ける自分でいるよりも、全ての感情を精算して愛する気持ちの方が自分を幸せにするということに気づいたのです。

父親に対しても、石ちゃんは同様の精算を経験します。

父親は家族を捨て、多額の借金を残して失踪しましたが、数年後には広島で路上生活から立ち直り、再婚して新しい人生を歩み始めていました。

石ちゃんは父親と再会し、彼が幸せになっている姿を見て、父親への恨みを手放すことができました。

このように、石ちゃんは地域のコミュニティの先輩に教えてもらった大切な価値観を通じて、両親への恨みを手放し、彼らの幸せを願えるようになりました。

彼の人生において、両親との感情の精算は大きな転機となり、自分自身の成長につながったのです。

自分がこんな人生を送ったことに意味があるとして、今何を望むか。

石ちゃんの今の望みは、人を励ますことを中心に据えた生活を送ることです。

「これも良い経験だった」と割り切るには、あまりにも辛い過去。

「家族は大切」と言うには、あまりにも厳しい家庭環境。

それでも乗り越えてきた石ちゃんにしか紡げない言葉があります。

これだけの経験をして、その辛さと向き合ってきた石ちゃんだからこそ、今 困難な状況にある人に対して、誰よりも深い共感と理解ができます。

また彼は、未来に希望を持てなくて 社会に絶望していたときに 自分が受けた励ましを、今度は違う誰かにも分け隔てなく与えたいと考えています。

この思いは、彼が経営するテントサウナ事業にも反映されています。

金融系システム会社の代表としての彼の経験は、自己実現の道を模索する中での一つのステップでした。

彼は自分の得意なことを生かして仕事をしてきましたが、それが必ずしも自分のやりたいこととは一致しなかったと気づきました。

そのため、彼は自分自身の思いを形にすることを目指して、テントサウナ事業を本格的に実行することを決意しました。

石ちゃんは、この事業を単に自分が成功するためのものではなく、この事業を通じて、新潟を盛り上げ、地域社会に貢献したいと考えています。

【まとめ】石ちゃんへのインタビューを通して

あまりにもショッキングな過去でした。

上手くいかない人に対して、「そもそもの考え方が悪いよね」とか「自分から不幸になりにいっている」と思うことが良くありました。

つまり、「不幸になるべくしてなっているじゃん」「自己責任じゃん」と。

原因自分論で考えること、それ自体は間違っていないし、事実、石ちゃんの過去においても、未来を自分ゴトとしたときに人生の分岐点が訪れています。

ただ、原因自分論への気持ちの転換が、しやすい人と、とてもそうではない人がいるなと気づきました。

自分の影響の範囲があまりにも小さい幼少期。子供は親を選べない。そんな家庭があまりに厳しい環境だったときに「原因自分論」なんて、気軽に考えられない。

そういう人を救うのは、「正しさ」でも「社会の福祉制度」でもない。

ただただ、無償の優しさしかない。

何の見返りも求めない。何の理屈も要らない。ただ、愛を与えること。

心に一定の余裕ができてからじゃないと「正しさ」とは向き合うこともできない

また、石ちゃんの過去を通して、『人間の最後の自由』について考えました。

与えられた事態に対してどういう態度をとるかは、誰にも奪えない、人間の最後の自由である。
(ヴィクトール・フランクル)

主著『夜と霧』より

ヴィクトール・フランクルは、第二次大戦時に「絶滅収容所」とも言われたナチスの強制収容所を奇跡的に生き延びました。

あらゆる自由を奪われた囚人たちの多くは精神を崩壊させ、あらゆることに無関心、無感動になっていましたが、しかし、そのような中でも最後まで天使のようにふるまった人たちがいました。

そこにフランクルは、ナチスといえども唯一奪うことができなかった自由、つまり「与えられた事態に対して、自分何を思うか・どう反応するか」の自由に気づいたと書かれています。

前述の通り、簡単ではないことは重々承知した上で、

でも自分だけは、「どう思うか」「何を信じるか」を選べるんだと信じ抜くことが、人生の主導権を握るきっかけになる。

石ちゃんの過去でも「自分の未来の可能性を信じる」「地域コミュニティを信じてみる」「母親を許し、愛すると決める」そういったこが、人生のターニングポイントを創ってきているなと気づきました。

◎これだけの経験をしたからこそ語られる深い共感と理解

◎当たり前に愛を分け与える精神。

◎厳しい環境においても、自分で「どう思うか」を選択できる強さ。

石ちゃんの努力や才能は、まさにこういうところだなと尊敬します。

コメント

タイトルとURLをコピーしました