名前の怪しい「たばこや」って何者??ブログ管理人の変人っぷりを紹介します。

学び

そういえば、

このブログの管理人の

たばこやってどんな人?

この記事では、

このブログの管理人のたばこやだいの経歴についてに紹介します。

たばこや
たばこや

こういう生き物もいるんだ!

って楽しんでもらえたら嬉しいです

ちなみに、漢字では莨谷大と書きます。

「莨」一文字で「たばこ」と読みます

「たばこ」で変換すると、邪魔にならないようにひっそりいます!笑

~まず初めに結論から~

莨谷大は、こんな変人です。

  • 子どものころは、とにかく色んな経験をしながらも反応的に生きていた
  • 得たい未来に向かって時間を投資するようになって、人生がさらに自分のものになった。
  • 2023年現在は、新潟市の地域活性化関係の事業にすっごい関わっている。
  • 山の上にいる時間がどうしようにもなく愛おしい。夢は山小屋を持つこと

詳しく紹介していきます!

  1. テレビもゲームも禁止!想像力こそ娯楽だった幼少期
    1. 1番の娯楽は、母の毎晩の読み聞かせ。
    2. やりたいことには挑戦させてくれた
    3. 父との幼少期の想い出
    4. ゲームが嫌すぎて、算数が得意になった小学生
    5. 小学生でテレビ番組の半レギュラー?!
    6. 当時のロールモデルは、ネイチャーガイドの”勝先生かつせんせい“
  2. 重度の中二病!ダサいやんちゃをしていた中学生
    1. 入学して3日で築き上げてしまった、ぼっちポジション
    2. 気分は主人公?! ケンカを止めに入ってボコボコに。。
    3. 中二病全開!! 「メテオストライク」と叫ぶテニスサーブ
    4. ダサいやんちゃもしっかり経験
    5. なぜ私が。。? 生徒会長に就任
  3. 今やりたいこと。そればかりに夢中だった高校生
    1. 遊ぶお金を貯めるために、片道12kmの山道を自転車で通学
    2. 山との再会。山岳部を”県下最弱”から”全国”へ
    3. 念願の携帯電話。高校デビューと蝕まれてむしばまれていく時間。
    4. 取返しのつかない受験勉強。
    5. 未来の選択肢が、減っていく
  4. ぼんやりとした葛藤かっとうとつじつま合わせのフリーター
    1. 学生じゃなくなった自分は、何者でもなかった。
    2. 初めて未来を選択。自分探しの1年。
    3. 原因ではなく、示唆しさを考える。“仁の会”という交流会との出会い。
  5. 社会に引きずり回される社会人の始まり
    1. 人生初。落ちこぼれとしての1年間。
    2. 長野へ転勤して、初めての営業目標達成。
    3. ぼんやりとした幸せ。レールの上に戻った生活
    4. 余裕なくして、愛などない! ギリギリだった新婚生活。
    5. 仕事が「カチッ」とハマる瞬間
  6. 自己崩壊と再構築。500円ハゲができたプレイングマネージャー
    1. 「誰にでも良い顔」ではなく、「選択と集中」という概念
    2. 環境の変化を味方につける。息をするように、アップデートをする。
    3. 七つの習慣の実践。過去の成功体験が言語化された本。
  7. 始まった。新潟市での地方創生というチャレンジ。
    1. “人生で1番失敗した1年”を過ごす決意
    2. 応援の法則。
  8. 自分の人生を振り返って

テレビもゲームも禁止!想像力こそ娯楽だった幼少期

幼少期は 母親の教育方針で、

テレビは1週間に30分までゲームは一切禁止パソコンもなかったです。

たばこや
たばこや

今にして思うと、

想像力を大切にしてほしかったのかなと。

でも、

当時は娯楽がなくて大変でした💦💦

とにかく 家にある 学研のニューブロックとか、将棋とか、オセロとか、色がすり減るまで遊びました。

男ばっかりの4人兄弟の末っ子だったので、常に兄と遊んでました。

たばこや
たばこや

自分達でカードを自作して遊んだりしてました!

1番の娯楽は、母の毎晩の読み聞かせ。

1番の娯楽は、毎晩の母の読み聞かせでした。

いつもお話を聴きながら、気付いたら眠っていました。

最後まで聴けた記憶がないです。。。

学生時代、国語が苦労せずに得意だったので、結構読み聞かせの恩恵はあったと実感しています。

たばこや
たばこや

今は私が、息子が寝る前に

読み聞かせをしています

やりたいことには挑戦させてくれた

結構色んなことに挑戦させてくれる母で、

  • 柔道教室
  • スケッチ
  • 陸上教室
  • 水泳教室
  • 盆踊りの練習会
  • 日本舞踊の教室
  • 自然体験教室
たばこや
たばこや

振り返ると、結構なんでも挑戦させてもらってました

ほとんど才能はなかったみたいなんですけど、

保育園の絵のコンクールで金賞いただいたことは覚えています。

たばこや
たばこや

母が私の描いた絵を玄関の壁に飾ってくれていたことが嬉しかったんですよね。

いまだに実家に飾られていますが、今となっては少し恥ずかしいです///

父との幼少期の想い出

父は仕事一筋だったので、あんまり幼少期の想い出はなくて、

山菜取りハイキングに連れて行ってもらっていたということだけ覚えています。

たばこや
たばこや

当時は好きとか嫌いとかなく ついて行っていました。

後でこれが夢に繋がっていくので、感謝です。

ゲームが嫌すぎて、算数が得意になった小学生

小学生から算数がとっても得意にでした。

これは自慢なのですが、”100点じゃなかったこと”が数回しかなかったです。

どうして、そんなに算数が得意だったのか?

そのきっかけは、なんと、”ゲームをしたくなかったこと”でした。

え、どういうこと??

算数よりゲームの方が楽しくない?

兄が母に隠れて

PSP(プレーステーション ポータブル)という手に持つタイプのゲーム機で

モンスターハンターというアクションゲームにハマってた時期があったんです。

兄

おい、弟よ。

お前もモンスターハンターで狩りを手伝え。

兄からの誘いを受け、協力プレイで狩りに行くのですが、

ゲームなんて触って来なかったので、操作方法も分からないんです。。笑

兄

いきなりボスのところ行くな!

避けろ!!

そこに罠を設置しろ!!!

おい!!!!

お前のせいでやられたじゃないか!!!!!

と、さんざん怒られました。。笑

それからはもう、とにかく、モンスターハンターをやりたくなかったんですよね。

でも、数日したら、恐怖の言葉がかけられるんです。。

兄

おい、弟よ。

お前もモンスターハンターで狩りを手伝え。

すっごい嫌で「学校の宿題がある」って嘘をついたんです。

新年度が始まった初日だったので、宿題なんてあるわけないんですけど「宿題がある」と言い張って、勉強机に逃げました。

兄

お~い、弟。

宿題終わったか~?

定期的に兄が声を掛けにくるので、何かやらなきゃいけなくて、その日に配られたばかりの算数の教科書の例題を1ページ目から全て解いていったんですよね。

結果、初日にその年の算数をやり終えてしまったんです!!笑

たばこや
たばこや

おかげで授業すっごい分かるし、

できて褒められるから、

どんどん算数好きになりました。

兄とモンハンに感謝!笑

小学生でテレビ番組の半レギュラー?!

父とのハイキングなどの経験から、自然が好きで、

「これ参加してみたい」と母にお願いしたのが

白山という標高2702mの山の山頂から日本海まで自力で行くイベントでした。

たばこや
たばこや

私は自然体験をしたかっただけなのですが、

これがテレビ金沢の番組の企画だったんですよね。

そこで、想像力のままに動き、

テレビを(見ないから知らないので)全く意識しない動きをする私が

番組的に撮れ高良かったらしく

その後、ほとんど毎回呼んでもらえるようになったんですよね。

  • 白山登山
  • 沢登り
  • キノコ採集して調理
  • 動物の足跡を追って雪山散策

本当に色んな体験をさせてもらいました。

当時のロールモデルは、ネイチャーガイドの”勝先生かつせんせい“

出ていた番組の中で、自然のことを教えてくれる

ネイチャーガイドの勝先生にあこがれていたのを覚えています。

知識や経験にあこがれたというより、すごく楽しそうに生きていたんです。

たばこや
たばこや

当時は周りの大人はみんな仕事が大変そうだったので、

どうせなら楽しく生きている人を目標にしたいと思ったんですよね。

重度の中二病!ダサいやんちゃをしていた中学生

中学生の時は、

  • 母の想像力を育む教育が成就して、完璧なる中二病
  • 小3以降に勉強はできたので、優等生なんだけど、、、
  • 中学男児特有のダサいやんちゃもしっかり経験

という感じでした。

入学して3日で築き上げてしまった、ぼっちポジション

中学に入る頃が、思春期が空回りした真っ最中で、

なぜか、「みんなと距離感のある自分かっこ良い」と思い込んで

入学式初日からみんなに敬語で話していました。。

たばこや
たばこや

我ながら、

なんでそんなことをしたんだ。。。

見事にクラスで浮いていました。。笑

小学校3年生以降勉強はできたので、ぼっち優等生みたいなポジションでしたね。

気分は主人公?! ケンカを止めに入ってボコボコに。。

中学1年生の初期、

給食の待ち時間にクラスの元気な男子2人が殴り合いのケンカを始めたんです。

私は、それを見た瞬間、悩むことなく、すぐに止めに入りました。

たばこや
たばこや

母からの読み聞かせで、

主人公感と正義感だけは強かったんです。

そうしたら片方の男子の怒りの矛先が私に代わったんですよ。

私は、もちろんケンカなんてしたことないんです。

「ヤバイ! こっちに来た! どうする?!!」

それでまた、何を思ったのか、“無抵抗“作戦を決行したんです。。!

結果は、、、、、!

もちろんボコボコにされました

周りが止めに入るまで顔面殴打されて、鼻血だらだらです笑

たばこや
たばこや

作戦失敗でした!笑

後から、担任の先生にケンカの当事者2人と私が呼ばれました。

止めに入った私が褒められるのかと思いきや、

「事情も知らないのに漢のケンカに割り込むのは良くない」と怒られたんですよね。。笑

たばこや
たばこや

なるほど!

そういう価値観もあるのか!

少し納得しましたよね。

とまぁ、殴られて怒られて散々だったケンカ仲裁でしたが、良いこともありました。

みんなからの私のイメージが

“変なやつ” → “変だけどたぶん良いやつ” に変わったんですよね。

中二病全開!! 「メテオストライク」と叫ぶテニスサーブ

「ガチガチな運動は嫌だけど、文化部はイメージが、、」などと、

軽率な考えでソフトテニス部に入部しました。

そして、相変わらず想像力豊か主人公感に侵されている当時の私は、

1球1球、技名を叫びながら打っていました

たばこや
たばこや

今思い出しても、

かなり恥ずかしいですね!笑

ダサいやんちゃもしっかり経験

そんな重度の中二病の私でしたが、ケンカ”無抵抗”作戦以降、周りから声をかけてもらえるようになり、

やんちゃな男子友達の影響でちょっとずつ(当時の自分的には)思い切ったこともするようになりました。

  • 校区外のカラオケやラウワンに遊びに行ったり
  • 深夜まで友達の家で遊んで、家に帰らなかったり
  • 大人の夜に対する好奇心で、夜の海に止まって揺れている車を覗きに行ったり
  • 深夜に自転車で金沢駅の繁華街まで出かけて、しっかり警察に補導されたり
たばこや
たばこや

深い意味はなくて、

誘われた遊びの延長線上だったんですよね。

ちなみに、この頃から、小学生のときから出ていたテレビ番組には呼ばれなくなりました。

ませガキですからね笑

たばこや
たばこや

この頃はとにかく

周りに流されて生きていましたなと思います。

ただ、色んな経験にはなりました。

なぜ私が。。? 生徒会長に就任

やんちゃはしつつも、勉強は真面目にやっていたんですよね。

で、中学3年の時、生徒会長の立候補者がいなくて誰がやる?ってなったんですよね。

  • 宿題や授業をきちんとやっているので先生からの評価は高い
  • 一緒に遊んでいるからやんちゃグループからもイメージ悪くない
  • 読書が好きで正義感の塊だったので、騒ぐのが好きじゃないグループとも仲良かった

おそらく、ここら辺が色々作用して、

最後は先生からの推薦もあり(半ば強制的に)生徒会長を経験させてもらいました。

同様にして、合唱コンクールの指揮者や、主張作文の校内代表なども経験させてもらいました。

たばこや
たばこや

全て、とても良い経験だったのですが、

私の目立ちたがり性格が育まれた期間にもなりました。。笑

今やりたいこと。そればかりに夢中だった高校生

高校生の時は、“今”に夢中になって生きていたなぁと思います。

とにかくがむしゃらで、やりたいことを片っ端から叶えていった一方で、

やりたいことばかりやって来た代償もキチンと払うことになりました。

遊ぶお金を貯めるために、片道12kmの山道を自転車で通学

実家が、白山市(旧鶴来町)という田んぼに囲まれた田舎でした。

たばこや
たばこや

最寄りのバス停からバスに乗ったら、

バス停10個分くらい

他に誰も乗車がないようなところでした!

高校が山道を12km行った先だったのですが、

お小遣いを電車やバス代ではなく遊びに使いたくて、

毎日往復24kmを自転車で通学していました。

たばこや
たばこや

若いってすごいですよね。。

当時は、これが基礎体力UPに繋がっていました。

また、毎日の往復1時間ちょっとが、ちょうど良い自己内省の時間でした。

結果的に、やりたいことを叶えるための体の資本心の資本になっていました。

たばこや
たばこや

大人になると、

この”基礎体力作りの習慣“も”自己内省の習慣“も

とっても大事だなと気づきました。

山との再会。山岳部を”県下最弱”から”全国”へ

たまたま入学した高校に山岳部という部活があり、

高校1年のクラスの担任が、そこの顧問でした。

たばこや
たばこや

中学でしばらく自然から離れていましたが、

山岳部という言葉に触れたとき、

どうしようにもなく登りたくなったんですよね。

私は、声をかけたクラスメイト3人といっしょに山岳部に入りました。

たばこや
たばこや

ちなみに、中学の時のテニスのペアも同じ高校に来てくれていたので、

私がテニス部に入らなかったときは度肝抜かれたらしいです。。

それは全く気にしてなかった。。ごめんよ。。

当時の山岳部は、もうすぐ引退の3年生が2名(うち1名は名前だけの在籍)

2年生は0名。1年生は、私たち4名(うち1名は女子)

昨年までは、大会出場権もない県内最弱の山岳部でした。

久しぶりにやった登山は、もう、すっごい楽しくて、

山の上にいられる時間が恋しくて

少しでも山にたくさん登れるように、大会でも勝とうと思うようになりました。

たばこや
たばこや

県大会 → 北信越大会 → 全国大会

と、勝てばたくさんの山に登れると気づいたんです。

そこから山岳部が盛り上がるように色んな取組をしました。

  • 部員の体力UPのための基礎練メニューの作成と徹底
  • 顧問の先生と交渉して登山回数を倍増
  • 強豪校の顧問にお願いして合同登山の実施
  • 過去の大会記録を集めて、傾向の読み解きと対策の強化
  • 部活紹介では、印象に残る為に制服ではなく登山フル装備で登場
  • 「興味」を「入部」に変えるための山岳調理体験会・テント設営体験会の実施
  • 大会前の壮行会でも、笑いと応援をもらうための大げさな目標宣言
たばこや
たばこや

壮行会での「登山フル装備」×「めちゃくちゃ動き回る」×「大げさな目標宣言」は認知度の拡がりすごくて、

会ったことない人でも「あの山岳部の人」と気づいてもらえるようになりました笑

そのかいあって、部員は、

入部前:2名

1年生の時:6名

2年生の時:13名

3年生の時:27名

と増えて行きました。

たばこや
たばこや

3年生の時は入部希望者が40名を超えてしまい、

他の部が困っちゃうとのことで、校内で問題になり、

入部希望者向けの説明会・選抜会が実施されて、

入部できるひとを14名まで絞ったんですよね。

メンバーの選抜と日々のトレーニングの成果もあり、

男子は北信越大会出場、女子は全国大会出場。

山にいっぱい登れて、とっても幸せでした。

たばこや
たばこや

チームの拡大や強化の

大きな成功体験を得られたことも

本当にラッキーでした

念願の携帯電話。高校デビューと蝕まれてむしばまれていく時間。

目標と主体的な行動と周りの応援で成果を出した山岳部の活動とは対照的に、

私生活は、向かう先のない、反応的な生活になってしまっていました。

大切なことの優先順位がないままに、携帯電話を持ってしまったんです。

もともと誰とでもコミュニケーションを取れていたのですが、

テレビやゲームやネットが家で制限されていたことで、

共通の話題は少なく、リアルタイムでのコミュニケーションはできていなかったんです。

スマホによって、突然、ゲームも動画もネットも開放され、みんなと好き放題連絡が取れるようになりました。

たばこや
たばこや

当時は、ただただ嬉しかったのを覚えています。

携帯を使いこなせている気になっていました

「中学生までの行動力」×「高校からの文明の利器」=「圧倒的高校デビュー

これが成立してしまったんです。

  • いつでも誰とでも、通知が来たら、秒で返信!
  • 流行りのゲームや動画はしっかりチェック
  • 全校生徒が私のことを知っている(という自信があった)
  • 週8でカラオケ・ボウリング・ゲーセン・繁華街ショッピング
  • どんどん変わる女性関係

驕りおごり「うぬぼれ」にどんどん苛まれてさいなまれて行きました。

スマホを使いこなしているつもりで、

実際には、スマホから糸で吊るされたマリオネットのように、

スマホに操られている生活でした。

でも、その瞬間は幸せだし、自己肯定感も高いんです。

取返しのつかない受験勉強。

高校3年生。

夏の大会も終わり、私の通っていた進学校では、全員が大学入試に向けて受験勉強する空気に染まっていきました。

ここまで部活を全力でやって、

私生活をスマホに操られていた私は、

勉強はどんどんやらなくなっていたんです。

  • 宿題はほとんどやらない
  • 授業中もこっそりゲームやLINEの返信
  • 数学・物理・科学以外は赤点ギリギリ
  • 1年生の時B判定だった志望大学の判定はD判定に

みんなが勉強しだした空気を感じて、

夏休みごろからようやく勉強に集中しだしたのですが、

そこら中に基本すら理解できていない箇所があるので、

今習っている範囲の学びもスムーズに行かないんです。

たばこや
たばこや

勉強ができると勘違いしていたのですが、

それはキチンと学習に時間を分配していたからだと

この時にようやく気付きました。

未来の選択肢が、減っていく

ずっと、未来の可能性は無限大で、自分は何者にでもなれると信じていました。

そのくらい高校までの生活は上手くいっていたんです。

そこに時間という概念が加わったのは、受験の時でした。

たばこや
たばこや

それまでは幸か不幸か

時間が足りないと感じることはなかったんです

私の目指していた大学の共通模試のときに、声をかけて仲良くなった違う高校の女性がいました。

それから一緒に勉強するようになって、

「一緒に大学受かろうね」って話していたんです。

たばこや
たばこや

「共通模試の会場でまで、仲良い人を増やすな」

と、当時の自分にツッコミたいです。。。

雑談からも学びの多い方で、

“掃除の時間、上手くサボるコツ”を自慢げに話すイタい私に

同じ15分の掃除時間を過ごすのなら、その時間を一生懸命掃除をする方が価値がある

と言ってくれたことを今でも覚えています。

たばこや
たばこや

誰にでも時間だけは平等で、

時間をどう使うかを選択できることが大切

ということに気づきました。

その方と同じ大学に行くことが大きな目標になって、

そこからはもう、朝5:00から夜の24:00まで使えるすべての時間リソースを

大学の合格のために投下していました。

高校3年生の夏からやれることをやり切った結果、、、不合格でした。

たばこや
たばこや

結果については、

過去に学習をおろそかにした期間を分かっていたので、

そうだろうなと自然に受け止めました。

その年、

努力が間に合わなかった事実と、大切な方と同じ大学に行けなかった事実が残りました。

未来を叶えるには、時間の投資が必要で、そのリソースは限られていることを、このときようやく学んだんです。

ぼんやりとした葛藤かっとうとつじつま合わせのフリーター

大学に落ちた後、大学行く以外の未来を考えたこともなかったので、そのまま浪人を決めました。

予備校に通うお金はなかったので、コンビニで早朝と夕方にバイトをしながら、昼は近所のタリーズで勉強していました。

学生じゃなくなった自分は、何者でもなかった。

学校という大きいルールの中では、ずっと主人公の様な気持ちでいられました。

でも、突然レールから飛び出した私は、社会では何者でもない、ちっぽけな存在だと気づかざるを得なかったです。

なんだかんだずっと褒められてきていたので、天狗になってしまっていた自分を痛感しました。

ナルシストな自分と、今の自分との乖離かいりに直面しました。

それでも、急に自分が変われることもなく、ズルズルと昨日から続く道を生きていました

  • 相変わらず交友関係はだらしないまま
  • 得たい未来もないまま、なんとなく続ける毎日の勉強
  • たまに遊びに誘われると、反応的に行ってしまう
たばこや
たばこや

仲良かった人たちは、大学で新しい交友関係を作っていましたし

現状の自分に対する引け目があり、以前のように自分から遊びに誘えなかったので、

こんな私のことを遊びに誘ってくれることが、余計に嬉しかったんです。

受験生にとって最も大切なセンター試験の1週間前でさえ

誘われた深夜のカラオケを断り切れずに行ってしまう始末でした。

当然、志望校は再び不合格でした。

たばこや
たばこや

蛇足ですが、

今の妻とはこのときのカラオケで知り合いました。

結果から言うと、私は志望校よりも妻を選んだんです。。。!←

初めて未来を選択。自分探しの1年。

そのまま浪人生を続けていく未来も、

ここまで落ちぶれた自分でも行けるランクまで 志望校を下げる未来も、

どちらも嫌でした。

たばこや
たばこや

当時、兄が3浪して、人生にめちゃめちゃ苦労しているのはなんとなく感じるものがあって、

このままだと、自分もそうなっていく気がして、怖かったんです。

当時の私は、1年間フリーターでやりたいことをやって、就職すると決めました。

  • 早朝から昼過ぎまでタリーズでバイト
  • 昼過ぎから夜まで個別指導塾の塾講師のバイト
  • バイト仲間と飲み会や遊びの企画
  • 友達をどんどん誘って何度も登山やキャンプ
  • 1人で無計画のアメリカ旅行

同じ1年を生きるなら、同じ1日を生きるなら、

とにかく何事も一生懸命やりました。

たとえバイトの時間であっても、よりお客様や生徒のためになるように、主体的に創意工夫していました。

例えば、タリーズでは、

  • 常連の方を、しっかり名前と何を頑張っている方なのかで紐づけて覚えて、単にお客様と店員ではなく、■■■さんという1人の人として接する
  • 発注や在庫管理についても主体的に覚えて、業務を任せてもらう
  • コーヒーなどについても勉強して、お客様に味以外でも楽しんでもらえるようにする
  • ラテアートやドリンクカップへのメッセージを練習して、タリーズを利用することでの体験価値の向上を図る

塾では、

  • 塾自体を楽しんでもらえるように、褒め方について勉強し実践
  • 問題が解けるようになった結果だけではなく、そのために頑張った過程をしっかりと気づいて褒める
  • 塾長に相談して、生徒から意見ボックスを設置する
  • 他の学生バイトと、塾長の、方向性のすり合わせのために、間をツナグコミュニケーションを行う

そういうことを行っていました。

たばこや
たばこや

当時の自分は、

同じ未来に行けなかったけど大切だった人に教わったこと

ひたむきに実践していました。

今にして思えば、仕事も交友関係も大切にすることが、

少しずつ周囲で関わる方からの信頼を積み重ねることに繋がっていました。

原因ではなく、示唆しさを考える。“仁の会”という交流会との出会い。

ある日、バイト先の塾長が、”仁の会”という交流会?ワークセッション?に招待してくださいました。

“仁の会”とは参加者が順番に自己内省をしていく会でした。

4~6名くらいの参加者(ほとんどが企業の社長さんなど)で、この1か月であった「個人の出来事」「家族の出来事」「ビジネスの出来事」について順番に話します。

出来事については、

  1. 起きた出来事の内容
  2. その出来事が起きてどんな気持ちになったか
  3. それはどんな示唆か(どんな未来につながることだと感じるか

を必ずセットで話していきます。

たばこや
たばこや

出来事が「なんで起きたか」という原因はよく考えますが

出来事の示唆を考えることによって、

自分の未来を意識し、想像・創造していくことが自然と身につきました。

男女の出会い目的でも、ビジネス目的でもなく、

自己内省の時間主体的に未来を選択する勇気をくれました。

たばこや
たばこや

あくまで副産物ですが、

そこにいらした方からの紹介で、

今務めている会社に入社できたので、

それも本当に感謝です。

社会に引きずり回される社会人の始まり

求人広告関係の上場企業の営業職として入社した私は、

どうせ同じ仕事の時間を過ごすのであれば、一生懸命学び、一生懸命活動しました。

人生初。落ちこぼれとしての1年間。

「2度とかけてくるなって言っただろ!!」

初めての営業電話でこうやって怒鳴られたことを覚えています。

たばこや
たばこや

私からは初めてお電話かけるので、

「いったい過去の人、何をやらかしたんだ?!」と思いました。

その後も、リスト順にどんどん電話をかけては、3回に1回くらい怒鳴られるんです。

入社して1ケ月も立たずに、すぐに「もう辞めたい」と思いました

たばこや
たばこや

「まずは売上が最優先!」とはなれなくて

お客様に求められいないものを上手く言いくるめて販売

みたいな器用さも気持ちもなかったんですよね。

行動は頑張ってはいるものの大きな成果にはならない。

自分の中の「こういうことがしたかったんだっけ?」という気持ちと、

やりたいことだけやっててもうまくいくわけじゃない」という気持ちの葛藤が続きました。

そうして、結果も出せず、辞めるという決断もできないまま、あっという間に1年が過ぎました。

長野へ転勤して、初めての営業目標達成。

1年の営業不振があり、長野転勤が言い渡されました。

当時、フリーター時代から付き合っていた彼女がいて、

「努めている金融機関を辞めて、一緒に長野についてきてよ」と伝えました。

当時の彼女
当時の彼女

うーん、それはちょっと考える

当時の彼女としては、当然そういう返事をするわけですが、

私にとっては衝撃の返事でした。

ナルシストっ気のある私としては

彼女の返事は「一緒に行く」という一択のみの想定でした。

たばこや
たばこや

え、それって遠距離で付き合う場合もあるってこと。。?

恐る恐る確認した私に対する、彼女の返事はさらに想定外のものでした。

当時の彼女
当時の彼女

ん?

遠距離になるくらいなら別れるよ?

たばこや
たばこや

(ええええええぇぇぇぇぇ?!?!!)

(じゃあ、今これ、別れるかの瀬戸際なの??!)

想定外の修羅場にビビり散らかしたことを覚えています笑

結局なんとか彼女についてきてもらい、石川→長野への転勤をした私は、

後にも引けない思いで、長野でもがむしゃらに行動をしました。

長野では、自社媒体の強いエリアだったこともあり、

入社1年でようやく初めての目標達成を果たしました。

ぼんやりとした幸せ。レールの上に戻った生活

その後は順調に、そこそこの営業成績を出せるようになりました。

相変わらず私は、「効果出たよ。良い人採用できたよ」と言われるのが嬉しくて、

営業的な数字獲得の方法よりも、応募効果や採用効果を高める方法

そればかりを勉強していました。

  • 効果の出た原稿がなぜ良かったのかをひたすら分析
  • 勉強会で学んだことをひたすら実践
  • 周りの仕事探しの経験や探し方などの実例をとにかく知る
  • 色んな友達の仕事探しの相談に乗って、実際に仕事探しをしてみる

そういったことをやっていました。

たばこや
たばこや

「他社でやって効果あったからオタクは必要ないよ」

お断りいただいたお客さまとも

“なんで他社では効果出たのか”一緒に分析する始末です笑

もはや求人オタクでした!笑

この頃、私生活でも徐々に余裕ができてきて、

一緒に住んでいる彼女とは、たくさん山に登りました!

たばこや
たばこや

長野は良い山が本当に多くてとっても大好きな場所でした。

プロポーズも山の山頂で、朝日が上がってくるときにしました笑

その後、妻が第1子を授かりました。

たばこや
たばこや

学生というレールから急に外れて、さまよっていたところから

よくある社会人のレールに戻って来た感覚でした。

余裕なくして、愛などない! ギリギリだった新婚生活。

新婚&第1子に恵まれた生活は順風満帆!。。。というわけにはいきませんでした。。

お金の余裕がなかったんです。

  • 手取り20万以下
  • 妻の収入はなし=家計収入も20万以下
  • 家賃・保険・携帯代の毎月の固定支出は大きい
  • 毎月減っていく預金残高。給料が入らないとクレジットの利用料が払えないギリギリさ。
  • すべての飲み会や遊びは「お金がなくて」とお断り

当時家賃は自動引き落としだったのですが、

預金残高が足りずに引き落とされてないことが2か月続いていたらしく

突然、「家賃2か月滞納。月末まで払えないなら強制退去」の紙が届きました。

たばこや
たばこや

当時、いきなり10万以上の請求が来た感覚で

震え上がりました。。

お金に余裕がない。仕事にも追われて、時間にも余裕がない

そうすると体調を崩し心もすり減り、自分のなりたい自分から遠ざかっていく

新婚なのに、妻も子どももゆっくり愛することもできない日々でした。

たばこや
たばこや

やらなきゃいけない家事や育児のことと

仕事のことでいっぱいいっぱいでした。

余裕がないと、行動を選択できない。

だから、人にやさしくなるためにも、

自分自身の心・身体・時間・お金に余裕を持つ

本当に、それを実感しました。

生きていくのにお金の問題の解決が必要でした。

  • YouTubeでお金に関わる動画をいくつも視聴
  • 携帯を格安SIMに保険は必要な機能のみに修正
  • 家計簿をしっかりつけて、お金の流れを可視化
  • 会社に「どうしたら■■■円まで給料上げられますか?」と昇給交渉

とにかくやれる対策を行い、給与収入を増やし、固定支出を大幅に減らし、なんとか生活が持続できる環境を創りました。

仕事が「カチッ」とハマる瞬間

ずっとがむしゃらにやっていた仕事に、

自己承認自信が加わった瞬間を覚えています。

仁の会で学んだ、「なぜ?」という原因ではなく、

「未来に対して、何か意味があるとしたら?」という示唆を考える習慣がついていました。

その上で、求人業界の違和感言語化していきました。

  • 条件の良い会社は勝手に人が集まるので、人気の会社には私の仕事は必要ない
  • 条件の良くない会社ばかりを目立つようにする仕事が、社会にとって何の役に立つのか
  • 営業は契約が決まると喜ぶ。お客様は採用が決まると喜ぶ。この目的のギャップ
  • 採用が決まると、次回の契約が必要無くなるから、効果の出るやり方をすると営業成績が下がる問題。
  • 応募者も1人の人間で人生があるのに、求人相談の場で応募者からの視点になることはない状況。

業界の課題に対して、私の強みと差別化は何か?

  • 採用につながる条件や打ち出し方について、県内で1番詳しい自信がある
  • 名前が特徴的なので、噂にしてもらいやすい
  • 求職者目線が持てる

そこで、「あっ」となったんです。

私が求人業界の営業になったことに何か意味があるんだとしたら、それは、

企業の採用担当者に求職者の視点に気づいてもらうことで、

最適な採用条件交渉や打ち出し方を一緒に考え

採用成功の体験により、紹介の輪を拡げていくこと。

仕事が「カチッ」とハマる感覚、仕事にハマる感覚がありました。

その後、目標達成は徐々に増えていき、自己裁量を少しずつ増やしました。

会社としても、営業本部長の交代、拠点マネージャーの配置転換がありました。

環境が大きく変わったときに、

「自分も変わる」と決めることで、チャンスはやって来ました

自己崩壊と再構築。500円ハゲができたプレイングマネージャー

「チーフをやってみないか」

そう声をかけてくれた、新しい営業本部長は、

『鬼の部長』と呼ばれていました。

「誰にでも良い顔」ではなく、「選択と集中」という概念

チーフになったときは2020年2月。

社会はそこからコロナ禍に突入していきました。

もともと右肩下がりのチームでしたが、

着任2か月でさらにその数字を半減させました。

鬼の部長
鬼の部長

このままだとチームがなくなる。

売上に合った人員体制に直す必要がある。

それが莨谷の仕事だ。

鬼の部長からの指令が入りました。

最初の仕事は、誰かにチームから外れてもらう決断をすること。辛すぎます。

たばこや
たばこや

“チームを潰す” or “誰かに抜けてもらう”

その決断をするのが自分なんです。

私としては、「みんなで上手くいきたい」と思っていました。

ずっと一緒に働いて来た仲間です。

人を切らずに売上を回復させる方法を考えませんか」と部長に相談もしました。

鬼の部長
鬼の部長

気持ちは分かる。

でも数字が回復する確信は?

失敗したら誰が責任とるの?

今なら当時の部長の言っていた言葉は分かります。

でも当時の私には、すごく苦しかった

それが表面的なものであっても、良い人でいたかった

鬼の部長
鬼の部長

莨谷には優先順位がない

数字に向き合え。

また、あれもこれも一生懸命やっている私に対しても

鬼の部長の評価は厳しかったです。

鬼の部長
鬼の部長

「頑張っている頑張っている」って言うけど、

それでどういう成果に繋がったの?

成果に繋がっていないのに、そのままのことを続けているの?

そもそも、

どういう成果を得たいと思ってやっているの?

結局、当時の組織ルールの中で、人員を縮小し、

数字の回復のためやるべきことを集中して対策することになりました。

たばこや
たばこや

私は、自分のやりたい方針も否定され

やって来たことも否定され

毎朝仕事に行くのが嫌

頭には500円ほどのサイズのハゲができました。

結果、チームはどうなったか。

利益が回復したんです。

部長
部長

頑張っているのは分かっている。

頑張っている人がキチンと成果を出せるようにするのが私の役割だ。

得たい成果を明確にして、選択と集中をできるようになりなさい。

部長は、そう教えてくれました。

得たい成果を明確にすること。

選択と集中をすること。

何もかもを大切にしようとすることは、

かえって、本当に大事なものを大切にできていないと気づかされました。

本部長は、本当に厳しくて、すごい嫌われていました。

でも、数字で人を守れる人でした。

環境の変化を味方につける。息をするように、アップデートをする。

その後、本部長の改革により、社内体制の変化が加速しました。

縦型の組織からネットワーク型組織の組織に代わり、他の拠点の営業やバックオフィスの方とのかかわりも増えました。

私は、『求職者目線の採用方法と紹介を輪を拡げられるチームにすることで、ファン客を200社創出する』という得たい成果に向かって、時間の使い方を選択するようになりました。

  • 事務所の壁にチームのミッションを掲示
  • 数字の把握業務や単純作業は、どんどん勉強して自動化
  • 着目すべき数字の変化に対して、原因の言語化と対策を取ることに時間を利用
  • 通勤時間や移動時間は、動画や音声メディアで、考え方や経済知識のアップデート
  • MTGでは、怒られないように数字報告する時間ではなく、不安な部分に対して意見をもらい他の拠点の成功要因を知り真似をするための時間に
  • 他拠点の数字にも興味を持ち、成功した人のやり方を行動に転化していく
  • 戦略が定着するまでは細かく声をかけ、ベクトルの一致戦略の徹底のために時間を使う

学ぶことが力になる実感』と『学べる環境』が見事にかみ合いました。

たばこや
たばこや

スマホとWEBメディアが広まり、

いつでも学び続けられる環境に世の中が進化してくれたことは、

この時代を生きる私たちにとって、本当に幸運でした。

その後、チームの成果はどんどん上がり、

新しく参加したメンバーも着実に成果を上げ続け、

私は複数拠点のマネージャーを任せていただけるようになりました。

七つの習慣の実践。過去の成功体験が言語化された本。

アップデートの習慣の中で出会った

七つの習慣』という本は、本当に多くの学びをくれました。

  • 反応を選択できると知ること
  • 影響の範囲と選択の範囲についての再認識
  • 人生の終わりを考えて、ミッションを定めること
  • 緊急じゃないけど重要なことを最優先する時間の管理方法
  • Win-Winが成立することをあきらめないこと

既に今まで、こういった気づきを得る体験はしていました

でも、それが汎用性の利く言葉になっていなかったので、

次からの行動に反映される機会は多くなかったんです。

私は『七つの習慣』を通して、過去の成功体験を言語化し、活かすことができました。

自分の過去を振り返り、大切な価値観を見つけ直し、自分のミッションを定めました。

毎朝の日記で自己内省の習慣を取り戻し、毎週その日記を振り返り、

緊急じゃないけど重要なことを先にスケジューリングするようになりました。

山小屋で、社会の制限から心理的にも物理的にも開放する、という夢を意識し始めたとき、

今の求人の仕事の延長線上には、自分の夢はないなと考えました。

夢に向かういくつかの方法の内、

低リスクで、夢に繋がる経験が詰めそうな、会社内の地方創生事業部への転身を決意しました。

始まった。新潟市での地方創生というチャレンジ。

当時新潟の”万代テラス ハジマリヒロバ”という空間の賑わい創出事業の責任者交代の話があり、

私はそこに手を上げて、挑戦することを決めました。

“人生で1番失敗した1年”を過ごす決意

当時の地方創生事業部は営業成績が良くなく、

既に軌道に乗っている今のポジションを捨てることは、

多くの方から反対されました。

絶対にうまくいかない。

あそこの場所は上手くいかない場所だってみんな知っている。

上手くいっているからって

調子に乗っていい気になっている。

絶対に1年以内に辞めることになる。

確かに、

  • 毎月赤字を垂れ流す事業
  • 賑わい創出とは程遠く、会場は閑散として、お客さんがいない
  • そもそも人通りの得にくいエリアで、気象条件も厳しい
  • 売上より、人件費の方が高い

そんな場所でした。

そこに会場管理の経験も、直営の飲食の経験も、イベントの経験もなく飛び込むんです。

たばこや
たばこや

勝っている戦場の本陣から、

ぼろ負けの戦場の戦火ど真ん中に飛び込むようなものですよね笑

正直、自分でも勝算が高かったわけではなかったです。

むしろ、“人生で1番失敗した1年”を過ごす決意をしたんです。

たばこや
たばこや

どうせ同じ時間を過ごすなら、夢に繋がる時間を選択。

会社のお金で失敗できるなら、それは貴重経験

そう考えました。

反対の多い中でも、

妻や長野のチームメンバーなど、

夢や価値観を共有していた方は応援してくれました。

異動した初期は、本当に過酷でした。

  • 平日週5で営業のプレイングマネージャーをしながら、休日は片道4時間かけて移動して、現場の仕事を覚える日々。
  • 朝は6:00から、一緒に挑戦してくれているスタッフと方向性のすり合わせ
  • “施設支配人”なんて役職を持ちながら、実際の業務は飲食の皿洗いをしたり、、
  • 飲食メニュー工夫しても、素人だから、管理コストまで見えていなくて、むしろ赤字を膨らませ
  • 強風の次の日は、施設の植栽が全て倒れているので、1日中ひたすら炎天下にさらされながら、こぼれた土を戻したり
  • 早朝から深夜まで何日にもわたって準備したイベントは、集客少なくトラブルだらけで大失敗

最初の3ヶ月は営業成績を改善するどころか、むしろ悪化させて、そのまま冬季休業を迎えました。

ほらね。

いった通り。

莨谷はもう終わった。

後ろ指を指されて、揶揄されて、

それでも、やることは変わりません。

  • ミッションを一緒に決めて、可視化してチームのベクトルを合わせて行くこと
  • とにかく成功事例を真似して、良いことは徹底度を上げていくこと
  • 経験の少ない間は、愚直に質よりスピードでどんどん実践を積むこと
  • とにかくお客様と関わり、声を拾って改善すること
  • 単純業務は、勉強して自動化していくこと

想定通り、多くのことは失敗に終わりましたが、

いくつかの成功への種を創っていました。

  • 直営のBBQの客数は、時期の悪くなる秋にも関わらず、2倍以上に増加
  • 近隣にある県下最大のコンベンションホール 朱鷺メッセとの連携成功
  • 上手くいかないパターンの学習
  • 地場の人脈の形成

『何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く』

シドニー五輪 金メダリストの高橋尚子さんが高校時代の恩師から送られた言葉

反応的に仕事をして失敗したわけじゃない。

得たい未来を明確にして、主体的に選んで、失敗も経験に変えている

自分自身が自分の成功を信じられるだけの行動を行っている自信がありました。

応援の法則。

「応援の導き出し方」はキチンと体系化されてるんです。
 
少なくとも僕の中では。
 
で、答えを言うと、「目的地―現在地=応援シロ」です。
 
「今いる場所から、目的地までの距離」が応援シロなんですね。

キンコン西野さん

2023年、私はこの学びを強烈に体感することになりました。

  1. 得たい未来を明確にする
  2. 現在の足りてない状況をオープンにする
  3. とにかく多くのキーマンと1と2について会話する

そうすることで、冬の間に伸ばしていた根が、大きな花を咲かせました。

  • 業績は昨対2,500%の大幅改善し、ビジネスとして成立するように
  • 集客3,000名~50,000名の地域の大型イベントを複数誘致成功
  • 日常的に会場を使ってくださるコミュニティを0→10まで増加
  • 県下最大のコンベンションホール朱鷺メッセとの連携事業の拡大
  • スノーピーク主導のミズベリングや、日本で最初の道の駅ふるさと村と連携し、ウォーターシャトルでそれぞれを行き来して楽しめる企画の実施
  • 現場を任せらる人員体制に改善・成長
  • 新潟市の地域おこし協力隊のサポート業務のスタート

とは言え、まだまだ、

「更なる賑わいの創出」や「リスク管理体制の強化」、「マネタイズの柱を増やすことでのビジネスの安定」など、課題は山積みです。

今は日々、多くの応援に感謝しながら、少しでも恩返しができるように、

得たい未来に向かって主体的に時間を投資しています。

自分の人生を振り返って

本当に多くの方に支えられ、導かれ、応援していただいたと、

ただただ、感謝ばかりです。

恩返しのためにも、私は将来、自分の山小屋を持ちます。

なぜ、山小屋である必要があるんですか?

理由は色々あります。

  • もっと多くの方に山の上の空間としての解放感を感じてほしい
  • “生きる”ことの楽しさを肌で感じてほしい
  • 普段と違う環境に来てもらうことで、自己崩壊と再構築を引き出したい
  • 物理的に、日常のしがらみから解放されてほしい
  • 心の中の、過去のしがらみ・先入観などを捨てて、心にゆとりを創ってほしい

でも、最後はシンプルに、

どうしようにもなく、愛おしいから。

それに尽きるなと思います。

そのために、

いま今はこの新潟での地域創生の事業を成功モデルと呼べるところまで整えて、全国に拡大し、

その成功体験をもってして、次の挑戦の時の社会の信用を担保します。

私の人生は、たくさんの奇跡によってできています。でも偶然ではありません。

この先の未来でも、一緒に夢を応援し合える仲間が増えると嬉しいなと。そう想っています。

コメント

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